あかんたれブルース

継続はチカラかな

少年法改正の是非から



今日の「ひるおび!」で
少年法改正を検証していました。
はたして少年犯罪は増加しているのか?
凶悪化しているのか?
という根本的なところからチェックしていた。

まず、少年犯罪の発生件数については
昭和20年代~40年代をピークに
それ以降は一気に減少しているようです。
少年の数を分母としても明らかに減っている。
では凶悪化は?
こっちも似たり寄ったりで特に凶悪化してるとは
いえないとのことです。
また加害者が少年法をタテに犯罪を犯しているか
というのもその適応時期直前の駆け込み犯行の
傾向もみられていないとか。
なんとも悩ましいデータだ。
こういったイメージはマスメディア
特にテレビの影響が強いようです。

そして懲罰主義が必ずしも抑止力にはならない
とか、逆に弊害のほうに不安があるとも
専門家は指摘していた。

死刑廃止論といいなかなか難しい。

わたしは個人的には18歳まで引き下げても
いいのではないかと思うほうです。
どっちかというと感情論であることは認めても。
死刑廃止論者は仕返し的な発想では
なにも解決しないという。そうだろうとは思うけれど
感情論として遺族の気持ちを察すれば
それは関係ないものだけがいえる正論だ。

現在の日本人の生死観にも反映されているのですが
わたしは死はある意味で救いでもあると思う。
それは加害者でも加害者の家族でも
そして被害者の家族であっても

冤罪に対する恐れを不安視する声もあります。
それとはあくまでも別次元ものだと思う。

与党自民党公明党は選挙権引き下げとセットにして
一石二鳥で弾みをつけようという思惑なのでしょう。
政治的なものですね。
これが逆にストッパーになってるのかも。
また、「法」という壁もある。

淡路島の事件の加害者は少年ではありませんが
ああいう精神障害者の犯罪を未然に防げない
ジレンマにも法の壁がある。
川崎の事件で加害者・被害者の親の体たらくが
浮き彫りになった。
そして警察や学校の無理力さ
これはストーカー犯罪やいじめにもいえることです。
法だけでなく人権の壁もある。

淡路島の事件では加害者の親の
腰が引けた様子が窺えました。
ただこれを批判できるものか?
あの家族は戦々恐々として腫れ物にさわるがごとく
爆弾を抱えているようなものだったでしょう。
事件が起きなければ動かしようがない。
できれば軽めの事件であってほしい
と願っていたかな。
ところがとんでもない事件になってしまった。

ここで少年法に対するジレンマに似た
精神病患者の犯罪に対する糾弾が生まれる。
誰を糾弾するのか?

よく弁護士は加害者・被告の精神鑑定をタテに
減刑を求めるケースが多い。
こういった手法に私たちは理不尽を感じるのだ。
「法」をタテにする法廷闘争とは別に
罪を償い、反省させる、更正させるということと
それとは別な次元のような気がします。

これはあくまでも精神病患者を差別する
というのとは違うよ。
ケア含めて日本社会はそういうことに対して
閉鎖的で排斥する土壌が強い。
地方なんか特にその傾向が強い。
そしてすべてを家族におっかぶせている。
家族でなんとかしろと。
これは保健所の対応でも一緒だ。

犯罪をゼロにすることはできませんが
こういう風潮を改めないと
状況はますます悪くなっていくと思う。

息苦しいほどの社会環境のなかで
法に触れなければ問題なしという考えが
蔓延っている。
法を変えてどうこうというよりも
法曹界がもっと柔軟に対応すればそれで事足りる
と思わないでもない。
また、それ以上に私たちの在り方だよね。
もっと風通しのよい社会にしないと
ヒドイ事件は今後も続くことでしょう。