あかんたれブルース

継続はチカラかな

難民問題で考えさせられること



昨日、NHKの「深読み」?だったかな
討論形式の時事解説番組で「難民」をテーマに
やっていました。
中東やアフリカなどの途上国や紛争国など
近年その数は益々増加しているそうです。
最近はシリアが凄くて5人に1人の割合だとか。

難民の受け入れ・・・難しい。
その賛否は日本ではまったく意見が二分される。
昨年の日本への難民申告件数5000件に対して
15件しか受け入れていないそうです。
15件も少ないけれど5000件もまた少ない。
地理的に中東諸国から遠いので人気がないこと。
(言語、文化の相違もある)
また、その審査も厳しいようです。
偽装難民」の見極めも問題だとか。

難民受け入れに慎重になるのは
実際にそれをやってきた英国、ドイツなどの
ヨーロッパ諸国が抱えている問題が
浮き彫りになるわけです。
彼らのせいで職が奪われるという反発反感。
それは20世紀初頭にオーストリアが行った
迫害されていたユダヤ人受け入れから生じて
発展していった悲劇と同じものです。

島国で単一民族で独自の文化をもつ日本人に
難民(多民族)の受け入れは敷居が高い。
グローバル云々とはまったく別次元の話
みたいなんですよね。
治安悪化の危惧も大きいのでしょう。
そこには、在日朝鮮人韓国人の犯罪率の高さ
もあるでしょう。
これは偏見ではなく事実だから仕方ない。

軍艦島世界遺産登録に韓国は
それを慰安婦問題と同様に強制連行というけれど
朝鮮戦争からの済州島4・3事件などから
現在の在日のほとんどが「難民」だった
とするのが歴史的に正しいとわたしは思う。
東西冷戦、戦争の悲劇ではあって
可哀想という気持ちはありますが
そのへんはきっちとしておかないと
こういったいわれなき的外れな意見が幅をきかし
両国の関係は悪化する諸悪の根源だ。
その意味で、日本人はもっと歴史を直視し
冷静な歴史認識をもたないといけないと思います。

それでも難民問題は難しいわけだ。

その番組でこの問題に対するひとつの
打開策を提示してくれていました。
それはかつて日本が
ベトナムカンボジア難民を受け入れた際の
経験的な財産についてでした。
その成功事例の要因は制度ではなく
地域の協力・応援の気持ちと行動だった。
なるほどなあと感心させられました。

地方とかには排他的なものがある。
同じ日本人でもよそ者扱いするのも日本人だ。
三代続かないと認めないという
江戸っ子だってそうだしね。
中国からの残留孤児だってなかなか受け入れない
そういう環境があったわけです。
そういったなかでたとえば番組で取り上げた
鈴鹿市(市民)の取り組みに感心させられました。

同じ人間なのだから
なかよく協力しあって共存共生していく。
これになんの問題があるわけがない。
そりゃいろいろ問題はあるだろうけれど
それを解決していくのが人間の課題ではないのかな。
予測されるリスクだけを心配しても
そういったものを排除できるわけはないのだから。
賛成反対の意見はあっても
そのどちらかの選択だけではどうにもならない
ものであることを実は私たちは知っている。
はずなのに