母の日に息子を抱きしめた
今朝、
やっかいな問題を抱える息子に
発破かけて送り出したのだ。
今日、彼は剣道部を退部してきます。
あと一ヶ月がまんすれば何事もなく
無事引退卒業だったのに
仲間たちからもひきとめられたり
それがゆえに気持ちも揺れたようです。
気持ちはわかるのだけれど
幸か不幸かこういう男親だったので
それは許されない。ご難だったことでしょう。
子供には子供の世界がありますからねえ
また、親としてどこまでそれに介入していいものか
いろいろとわたし自身も考えました。
そういうことを含めて
彼の先々の人生で、生き方を、考え方を
見誤ってほしくないと切に思ったのです。
出処進退というのは難しい。
なかでも引き際っていうのが難しい。
難しいからこそ、それができれば大丈夫なのだ。
決断する選択には
そのどちらにもリスクがあるものです。
私たちはその選択の際に
リスクのないほうを選ぼうとする。
そうじゃない、どっちにもリスクはあるんだ。
それをよく考えた上で腹をくくってやらないと
あとあとへたれる原因になってしまう。
また、我慢を信奉しすぎる風潮もある。
我慢すること=仕事だとか考える。
そんなことないよ。それこそ平和ボケだ。
また、こうもいう。
「社会に出ればそういう理不尽はたくさんあるから」
だから、がまんしろという筋立てなんでしょう。
でもね、そういうことは
社会に出れば自ずと身を持って経験することであり
学んでいくことです。
それを学生とか未成年者が
ましてや教育で教える必要はないのだ。
「それは理想だよ。現実は」
という言葉に、わたしの恩師はこう切り替えした。
「教育で理想を教えなくてどうしますか!」
出かけに息子が
みんなから(その行動は)逃げだといわれたら
どういったらいいかなあと聞かれた。
そのときは、そう思うのならそれでもいい
としてそれ以上の弁明をする必要はない。
とこたえました。
彼らも時間が経てば考えることだろうしね。
息子はすこしはやく大人になったんだと思う。
大人の御都合主義に疑問と不信を抱いた。
大丈夫だよ。そういう大人ばかりじゃない。
独りだけの行動は勇気がいるものです。
いまごろ電車に乗っている頃だろうかと
気になってしまいました。勇気をふりしぼれ。
勇気というのは震えながら踏み出すことなんだ。
そういう場数を踏んで身につけていくものなんだ、
がんばれ。
それでもなんか不憫でね。
親として子供にしてあげられること
子育ての最後にある意味大きな課題をもらった。
そんなことを思いながら
横になってたらいつのまに寝てしまった(汗)
2時間後、息子が帰ってきました。
ひと仕事終えたように
さんぱりとしたと笑顔で帰ってきました。
「ちゃんと言えたよ。ああすっきりした」
よし、よくやった。
息子を抱きしめたよ。