あかんたれブルース

継続はチカラかな

ああ~鹿児島は今日も雨だはった



そういうわけで帰ってきました昨日
いや一昨日水曜日の夜かな
旅の疲れで昨日はダウンしちゃった(汗)。

19日の長旅となりましたが
鹿児島は、雨雨雨・・・空港着いたときから
ずーっと雨ばかりだったよ。恋人も濡れる街角
相変わらず地元の街角は閑散としていた。
今回は地元の温泉で湯治でもと思っていたけど
こう雨ばかりじゃねえ
結局浸かったのは空港の足湯だけ!
ま、帰省の目的は親孝行だったので
せっせと数十年の親不孝の罪滅ぼしの
何十分かの一は償えたかもしれない。
借金の利息にもなりゃしないかな・・・

わたしが帰って母親が元気になった。
その変化は二三日であらわれたぞ。
ボケは相変わらずですけどね。

親が老いるということは子にとって
とても痛い現実なのだ。
その現実をなんとかもとにもどそうと
イライラしてしまうものなんですよね。

そんなボヤキを親友のアリちゃんが
「そんなものだよどこもだれもが」と
慰めてくれた。
奴の両親はすでに他界して
いまは嫁さんのお母さんが痴呆で
施設に入っているそうです。
50代になるとだいたいがこういう状況になる。
だからその言葉にも深みがあるのだ。

地元を歩けば老人ばかり

でもね、ほんの十年、二十年前は
この人たちもシャキシャキしてたんだよね。
そういうことを若い連中は想像しきれない。
わたし自身がそうだったもんね。

母方の本家の位牌に線香をあげた。
叔母の旦那さんは今年二月に他界したのだ。
糖尿で19年間の闘病の末の永眠でした。
叔父さんも大変だったけれど
その世話をしてた叔母さんも大変だったよね。

仏壇の部屋に飾られた慰霊の写真
祖父と祖母に叔父さんが四人

人生いろいろだよ。

しみじみと語る会話のなかに
叔母が古老の言葉を教えてくれた。
「三味線のない家はあっても
 琴のない家はない」

これは「琴」と「事」を重ねたものです。
事とはトラブルやアクシデントのこと。
うまいことをいうもんだなあと感心した。

年を重ねることもそう悪いことでもない。
なんか地方にはそういう温かみがあったなあ。
東京ではついつい見落としてしまいがちな
そんな空気が漂っているようでした。