あかんたれブルース

継続はチカラかな

もっと本気で口説いて



「物言えば唇寒し・・・」と申しますが
『表現』とか『伝えること』については
その難しさをここでもこれまで何度も記事に
してきたかと思います。
いやああ、難しいものです。
よかれと思った発言が思いもよらない解釈を
されてしまことって誰でも多々あるものですよね。

今日は広島の原爆投下の日だったのですが
それにあわせて昨夜
NHKクローズアップ現代では
『ヒバクシャの声が届かない
 ~被爆70年 “語りの現場”で何が~』
を放送していました。
最近めっきり被爆者体験者の語り部の場が
すくなくなっているのだとか・・・
中立性、残虐性などなど
いろいろ考えさせられるケースを紹介して
いたんですが、そのなかで

ある語り部が修学旅行の学生に被爆体験を
語っていたところふざけている生徒がいたので
注意した。すると
「死にぞこない」という暴言が返ってきた。
これ、たしかニュースでも
けっこう大きく取り上げられた記憶がある。

こんな馬鹿ガキは鉄拳サンドバックの刑
でもおつりがくるというのはわたしの暴言か?
まったく親や教師の教育しつけも嘆かれる。
対して、「注意の仕方が云々」と
わけのわからんことをいいだす連中もいるし
あ~あ嫌んなちゃうね。

ところが、さ
この語り部の爺様はちょっと違ったんだよね。
自分の表現の仕方、手法、在り方を
問いただしてみたという。
そして、「押し付けがましさ」があったのでは
なかったかと反省したというのです。
そして、そこからもう一度原稿をチェックして
書き改める作業にはいったと。

偉いもんだなあと感心しました。

被爆体験者はどうして自分の思いを伝えたい
がために、そういう傾向が出てしまう。
それがゆえに、時代のギャップがある世代と
隔たりも生まれてくるのではないかと
話していました。

こういうことを書くとあれですが
体験者にはそれを語るある種の権利
みたいなものがある。と思う。
戦争体験に対しても被爆体験にしても
私たちは戦争を知らない子供として世代として
生まれ育った者たちです。
だから、それをいわれるとつらい。
これは学生運動とか
ボランティアとか
うつ病などの精神疾患などからも
毅然と行使されるものでした。
「お前なんかに何がわかる!」って
それほど相手を沈黙させる説得力があった。

でもさ、この偉い爺様が考えた
伝えるという意義、意味、目的からすれば
そういうのは
表現として、踏み込みの浅いものであると
わたしは思うわけだ。

思いのたけをストレートに伝える
それはそれで説得力のある表現の手段であるし
そこに実体験というものがあれば
その説得力は大きい。

戦後70年の今年の段階で
戦争体験者の数は益々少なくなっている。
あと数年したらもっと少なくなって
10年経って戦後80年という年も必ず来る。
確実にいなくなるんだよね。

良いとか悪いとか賛成とか反対とか
そういうくくりはシンプルで分りやすい
とは思うけれど、物事はそれほど単純じゃなく
それを煩わしいとすることは
思考停止を引き込み
伝えることの意義を見失わせてしまう
ことになるんじゃないでしょうか。

こんな記事に不謹慎ですが
https://www.youtube.com/watch?v=Hmdevgg5Qqw