ただいまあ
ただいまあ・・、です。
帰ってきますた(汗)
昨夜20時に我が家に久々の帰還。
長旅で疲れて
パソコンも開かないで布団に入ったですばい。
予定を大幅にオーバーして約一ヶ月半の
「ウマタロスの母に会いにいく」となりました。
8月の22日に母親が救急車で緊急入院
原因は心不全だったようです。
24日にサチコが帰り
わたしも28日に鹿児島へチェックイン。
空港バスから地元の駅に着いたのは午後7時半
サチコに到着を告げるとまだ面会終了時間まで
30分ほどあるからそのまま病室にくるように
急かされ・・気乗りしない躊躇のなかで
母の病室に向かった。
そこには干物のようにしぼんだ母がいました。
顔は土色で目のまわりだけ黒くて
レッサーパンダのように
そんなに可愛いものではありません(涙)
しわくちゃの類人猿のようだった。
それでもサチコが帰ってきた当初よりは
まだマシになったということだった。
わたしの顔をみて母が笑いました。
詳細はハショリますが
ここから母親は脅威の回復をはたしていきます。
それは夏休みのヘチマ日記のように
目に見えるものでした。
9月の15日に退院
しかし問題課題はそこからなのだ。
病院は完全介護ですけどねえ
はたして自宅で・・・
そんな心配をよそに
母は不死鳥のように回復していったのだった。
わたしが帰る頃にはすっかり入院以前の
いやそれ以上の回復を遂げた。
体はね。
頭のほうは相変わらずボケたまますっ(笑)
しょうがないよね
87歳だもん。
いろいろな比較からすれば
まだマシなほうなのかも。
なにはともあれ、母親は元気を取り戻し
わたしの47日間の滞在は無駄にはならなかった。
地元ではちょっとした孝行息子だったのだ(笑)
そんなことも母には嬉しいことだったみたい。
ゆったりと流れる母とのスローライフ
こんな生活もアリかなと
しみじみ思ったものです。
以前のわたしは帰郷したそのときから
東京に戻ることばかりを意識していたものでした。
追いたてられるように急き立てられるように
東京にはそういう場があったのだった。
必要とされる環境があった。
地元には実家にはそれはないと考えていました。
なんのことはない
わたしを必要とする場は目の前にあった
わけですね(汗)
母だけでなくわたしも地元も
老いてしまった
だけの話なのかもしれませんけどね。
子供にとって親の老いは残酷な現実です。
ついつい目を背け焦燥感に苛まれる
焦りと苛立ちがカウンターのように
ボディーブロウのように効く。
誰だって必ず老いるし、そして死ぬのだ。
そういう当たり前のことが
若いときはなかなかわからないものです。
いずれにしても
この長いようで短い滞在を
母はしごく喜んでくれました。
さすがに帰る朝になって泣かれたときは
往生しましてけどね。
「またすぐに帰ってくるよ」
その言葉は気休めなものではなく
先送りしてしまった検査や諸々のことを
片付けたらまたすぐに戻ろうと思っています。
ともかくは、ウマタロスの母は一命を取りとめて
回復し、元気になって逆噴射気味の大ボケを
炸裂するまでに復活したわけです。
めでたしめでたし(笑)