あかんたれブルース

継続はチカラかな

滅びゆくニッポンの文化



結果にコミットするライザップ
結果論でレバタラいうのはコメンテーター
JUJUを林家三平の娘かと思ったのは
馬太郎でした(汗)

ぐずついた空模様の日曜日
いかがお過ごしですか
昨日とりあげた『細雪
その魅力の要因に
方言の効果が絶大だとも思うわけです。
ここでいいう方言とは大阪弁
のなかでも船場言葉
聞くところによると現在は絶滅死語だとか。
このブログでも言語方言文化については
よくひとりで暑苦しく語ったりもしますが
『白い巨搭』にしても『泥の河』にしても
あのギトギトした、また温かい
関西弁が大きな効果を発揮していたはずです。
ドラマにリアリティーというか
臨場感がでるんでしょうね。
これが標準語じゃあ、なんかね。
日活の無国籍活劇みたいでどこか絵空事のような。
いま人気の『あさが来た』でもそれはいえる。
あの可愛らしさの秘密のあさちゃんだす。
あまちゃん』も東北弁だったし
仁義なき戦い』は広島弁
『実録外伝九州進攻作戦』は九州弁でした。

九州弁といっても福岡から熊本
そして鹿児島に下るとまったく異質になる。
「薩摩飛脚」といって関が原以降
幕府隠密を警戒して島津藩では一大言語改革を
施行した結果といわれています。
コミットしたわけだ。
あの独特なイントネーションはドラマ等での
薩摩隼人のイメージとはちょっと違う。
そんななかでうちの地元は鹿児島県でも唯一
その言語圏とは隔絶してる陸の孤島であります。
それは同じ市でも周辺の町村とも違うのだ。
地元市内だけの公用語なんですねえ。
だから鹿児島県内ではマイノリティーなのだ。
これは漁港だったことから
陸よりも海の道から四国や近畿などの
影響を受けているようです。

そんなわけで地元の古老が鹿児島の学校に
通うとこの言葉のせいでいじめにあったとか
その悔しさを金田一春彦先生が講演にきた際に
涙ながらに訴えていたそうです。
対して金田一先生はそんなことはない
それは正統な薩摩言葉の源流なんだよとか
いって慰めていたとか。

わたしらが小学生のときには
学校で「悪い言葉を使わない」の規則が布かれ
一回使うと放課後雑巾がけ10回で
わたしなんぞは毎日100回以上廊下を往復して
いたもんね。
といって、教師が使う正しい言葉とやらは
あのみょうちくりんな鹿児島弁で
これが英語の授業になると
変なイントネーションでねえ。
それもあってわたしゃいまだに英語嫌いさ。
ま、わたしの反骨精神もこうやって
養われたのでしょう。

それでも今の若い世代はもう地元言葉を
あまり話さなくなってしまってるようです。
テレビなんかの影響なんでしょうか
これは全国的な傾向のようでもある。

細雪』は滅びゆく京阪神モダニズム時代の
生活文化を描いた作品で
(戦時という時代と隔絶する結界のように)
そこに絶滅した船場言葉が用いられていた。
今の関西の言語・文化は吉本に染まっている。
藤山寛美松竹新喜劇でも
桂枝雀上方落語の世界とは異質なものだ。
もっともそんな言い回ししたらアホかと
いわれてしまうでしょうけね。
東京で江戸弁使って口説くようなもんだ(汗)

言葉同様に文化の変容も著しく
関西の値切るというコミュニケーション文化も
最近では枯渇しているそうです。
それに命を賭けるルイちゃんが嘆いておられた。
全国どこもかしこも平均化していく。
なんかさびしい感じですねえ。

歌は世につれ
言葉も文化も変わっていく
日本映画の魅力には
そういう懐かしさ郷愁っていうのも
あるんだろうな。
ああ、宇野千代の市川『おはん』が観たい。
真昼間から芸者の大原麗子
「アレしまひょしましひょ」なんて
押し倒されて・・そこかよ!

今日のサンモニは比較的おとなしめ
だったので不完全燃焼でした。
もっと毒づきたっかた。
ワイドナショーもゲストが一茂だったので
撃沈だった(涙)
松本人志のコメントもキレがなっかたああ