優等生が危うくするのさ
“戦後民主主義の優等生”っていうのが出たので
この優等生というのをネタに握ってみます。
反語は劣等生。
そんなわたしは後者の下から三番目。
JJ. などはその外で校庭で洟垂らして俺を呼ぶ。
「先生、馬太郎君が余所見してます」
と必ずチクるのがこの優等生だった。
「馬太郎そげん勉強が好かんなら
久志の玉川学園にイケ。あっこは勉強せんで
農作業ばっかりしとっちいうぞ」
いっときゃなあもうちょっとマトモな人間に
なっとったかもしれんでごわす。
はからずも我が息子は玉川の小原さんが創設した
千葉工業大学に進学するこの因果に思いを馳せる。
さてそんなわたしの河豚大抵いや不倶戴天の敵
優等生とやらですが
社会人になって付き合うハメになった
新聞記者編集者という人たちは
みなこの優等生の連中ばかりでした。
ひとことでいえばつまらなかった人たちだった。
これじゃあ雑誌も面白くなくなるよね。
この傾向が強くなったのは80年代頃からかなあ
それ以前はちょっと変わったユニークな方々も
いたものでしたが・・・
日立のあるOBがこぼしてた。
70年代に入って日立の社風が一変したと。
同じようなことを日経のOBもいっていました。
わたしが感じる以前にそういう時代の節目が
あったんでしょうねえ。
戦前、明治の日本人の優秀さを俯瞰すると
優秀、頭が良い成績が良い=優等生ではない
としみじみ茶をすする。ずずずっ
信長型である日突然変異するタイプもあれば
竜馬型でそのままアホなのか利口なのかのタイプ
とか、色々ですが劣等生タイプから
多くのファーストペンギンが輩出されていました。
わたしが近現代史に惹かれたのも
そういうダイナミズムというか一筋の救いを
ロマンを求めたのかもしれません。
いまでは健さんのような不器用な男は
絶対に成功者になる筋立てはありませんが
それ以前は健さんや寅さんが立志伝中の人物に成る
夢のようなポエムがマジであったわけだ。
大林組も電通もグンゼも
むしろそういうほうが多かったかもね。
そういうのが今は非現実とされるのには
無論、教育のせいとか社会環境も大きいけれど
作り手側がそれを絵空事として認めない
優等生たちだったのもあると思う。
ニッポンが学歴偏重主義にひた走ったのは
まず陸軍士官学校海軍兵学校からなんでしょうが
明治後半の高等師範学校の東京広島の勢力争いも
無縁ではないようですねえ。
各陣が西と東で優秀な生徒育成にしのぎをけずった。
ここに東大を頂点とする座学偏重教育が構築され
大器晩成の劣等生諸君は肩身の狭い思いを続ける。
しかるに、頭がいい=優等生とは限らない。
優等生でなくとも頭の良い人間はいるものです。
東条英機に対して石原莞爾のように。
先日、偏向報道に対する意見広告の呼びかけ人の
筆頭として名を連ねた作曲家のすぎやまこうち先生
「亜麻色の髪の乙女」「学生街の喫茶店」などの
歌謡曲からドラクエのBGMや
♪ハウスバーモントカレーだよの数々のCMソング
まで幅広い音楽活動をなさっていますが
氏は独学で音楽学んだそうです。
音楽学校に行きたかったみたいですが
ピアノが弾けなかったので断念して
仕方なく受験したのが東大だったっていうから
頭のデキが違う。無論ガリ勉なんかじゃない。
こういう人いるんだよなあ(汗)
卒業後はテレビ局でディレクターやって
作曲家への転進はその後ですからねえ
まさに自由自在したい放題の人生だ。
決して彼を優等生なんてスケールでは
はかれないと思わない?
ましてやすぎやまこういちを右翼よばわりなんて
言語道断だ。
結局、士官学校から陸軍大学のエリート教育
による優等生ではダメだったのだ。
『国家の品格』藤原正彦さんの真のエリートの
ツメの甘さはそこにあり
ファーストペンギンは優等生からは生まれない。
後藤新平がいうように
組織は人間を育てないの如くだよなあ。
劣等生といわれてる諸君よ大志を抱け
お金儲けだけが立志じゃないぞ
カネは後からついてくる。
お~いJJ. ズボン履けよパンツにうんこ着いてるぞ
「先生、馬太郎くんが」
うるせ!バカ。
「あっ、殴った。先生に言いつけてやる」
またこれだよ。ああ嫌だ嫌だ