あかんたれブルース

継続はチカラかな

俺を泣かすな台湾バナナ



ニュースに接して、これほど感動したことは
これまであっただろうか
感動どころかぼろぼろ涙が溢れてきた。
おバカなわたしの琴線を奏でたEmは
東洋経済オンライン 12月2日(水)8時0分配信 の
「今なぜ台湾で「懐日映画」が大ヒットするのか」

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151202-00094829-toyo-int&p=1

という記事でした。

児玉源太郎が台湾総督をしてから
いやそれ以前の牡丹族高砂族など
原住民との戦いとか
新渡戸稲造の農業改革や杉山茂丸の蓬莱米
後藤新平の阿片撲滅などの衛生改革
その他数々の治水インフラ整備など
日本の台湾経営は日本人の血税と先人の叡智
奮闘努力の記録を思い知らされて感無量
だったのですが、
それを植民地支配と一刀両断されて
そういったことは見猿聞か猿言わ猿の三猿で
自虐史観のなかで葬り去られていました。
そのことが口惜しくてねえ
それを叫べばネトウヨと一緒にされるし
せめてもの救いは中国韓国朝鮮に比べて
台湾の人たちが親日的だということだった。

だからもうっちと近現代史を学ぼうよ
と、このブログでもよく訴えたものです。
たいがいが苦手だ小難しいとか
あんた明治生まれの年寄りなのによくブログできるね
とか、わたしはハゲじゃない!

そういったジレンマをこのニュースは払拭してくれた。
戦前に台湾で生まれ育った日本人を
「湾生(わんせい)」というのだそうです。
司馬さん風にいえば
故郷忘じがたく候
台湾のドキュメンタリー映画『湾生回家』は
そういう作品なのだ。
驚いたのは台湾ではドキュメンタリー映画
商業ベースで成立っているようで
そこに近年における台湾での「懐日」ブームも
無縁ではないということでした。
この作品は来年日本でも公開予定だそうで
邦題は『故郷-湾生帰郷物語』

終戦で日本に帰った湾生たちが
故郷台湾を懐かしみその思いから戦後70年経った
いま、生まれ故郷に帰っていくという物語
そこにはたとえ祖国である日本であっても
この作品である老婦人が語った
「自分がいつも異邦人のような気持ちだった」には
同じ日本人でありながらも地方出身者である
自分と重なるものがありました。
そういうセンチメンタルだけではなく
この作品を読み取った記者の
「経済的豊かさがあろうがなかろうが、
 国籍が日本であろうが中華民国であろうが、
 それはひとりの人間にとって
 絶対的な体験なのである」には唸ったもんだ。
座布団十枚やりたいね。

昨今、テレビを着ければ
嫌なニュースばかり
未来なんてお先真っ暗のため息が出るのがオチ。
そんななかで環境問題を解決する手掛かりの
新しい技術とか成功とかは嬉しくなる。ならないか?

台湾中華民国の国民党を凌駕する民進党の勢いとか
別として、台湾の人たちが「愛台湾(台湾を愛する)」
気持ちと日本を日本人を好意的にみてくれている
しかも若い世代もだっていうじゃありませんか。
そしてこの記者の筆は冴え渡る

「だが、やはり重要な問題は、
 人間にとってのアイデンティティは、必ずしも
 教育やイデオロギーだけで決まるものではなく、
 個々人が抱いている実体験によってしか
 本当の意味で形成されないということだと思う」

野嶋剛記者よ、その通り。

東日本大震災のときもいち早く支援の手を
さしのべてくれたのは台湾の人たちでした。
韓国ではざまあみろ発言があったんだよなあ
この差ってなんなんでしょうかね!
日本は台湾だけに特別なことをしたわけではない。
韓国でも北朝鮮でも満州でも
日本人は同じように向かい合ったのだ。
以前hitoさんのところで日本の統治時代を懐かしむ
韓国の古老らが日本の演歌を歌ってる記事にふれた。
それはそれで一側面のことかもしれないけれど
それが一片たりとも伝わってこない韓国の
そしてニッポンの異常さなのだ。
そういうことを抜きにして友好もヘチマも
ないんじゃないのかマスコミ諸君。

トドメは司馬遼太郎の『台湾紀行』の引用から
「ある老婦人から『日本は台湾を二度捨てた』
 と詰め寄られ、答えに窮したところが描かれている。
 私自身、台湾で暮らしている間に、
 何度か高齢の方々にそう言われ、
 心のなかに罪悪感が残った記憶がある」

なんか昔の女に再会して
肩を震わせていわれたようで
思わず抱きしめてしまいそうに切ないなあ
侵略戦争とか植民地支配とか
どこで注射されて宣まっているのか知らんけど
そんな罪悪感よりも
この二度捨てたというどうしようもなかった
事実に言葉を失う見識品性が今の日本人には
まったく欠けているのではないのかな。