あかんたれブルース

継続はチカラかな

ツンデレラのガラスの靴

考える葦(1)葦の髄から天井をのぞく


久々にPCから
マクロとミクロの両極面から人間に
ついて考えてみました。
人間の特性は、過剰と惰性と比較(的思考)
があるそうな。
ここから昨今の社会問題のひとつ
DV(いじめや虐待も含む)について
こういうのって今にはじまったものではない
とよくいわれます。そりゃそうだ。
日本人の、いや人間の宿痾といえるでしょう。

ひと頃「ツンデレ」という言葉が流行りました。
特定の人間関係において敵対的な態度(ツンツン)と
過度に好意的な態度(デレデレ)の両面を持つ様子、
又はそうした人物を指す。
小悪魔的な女子の愛情表現と解釈されるでしょうか
不細工な女にこれをやられると迷惑な話ですが(汗)
男子でも似たようなことありますよね。
好きな子につはついついチョッカイを出したり
イジッたり結果的に意地悪してしまたりとか。

で、このツンデレってDVと同じセクター
にあるのではないかと。
会社は別でも同じ業種で
蒲鉾屋とクサヤとか原料は一緒。
奈良漬とキムチとか原料は違うけど漬物。

DVの特徴にはアメとムチのギャップがあり
この格差に翻弄される被害者は比較する判断力を
狂わされてしまうようです。加害者もそれは同じで
過剰に奔ってしまうんでしょうねえ。

このセクターには精神疾患
双極性障害(躁うつ病)や
境界性人格障害境界性パーソナリティ障害)も
仲間だと思われるわけだ。
いわゆるターゲットが被害者に位置するわけで
加害者は完璧にツンデレであり
そのターゲットは特定の人間に標準があてられる。
それが特定でなはないとステージはワンランクアップ。

小悪魔的ツンデレがヨーグルトとすると
双極性はブルーチーズ
パーソナル障害は納豆
DVはクサヤではないか、としてみる。

ここで厄介なのはそこに「愛」とかが
介在することだ。
実体は別としてあるような気がすると。
もっと質の悪いことには
それに力の支配を行使させることだと思う。
人間が嵌りやすいトラップはこの力による支配である。

力による支配を中国では覇道といいます。
対して、仁徳をもって統治することを王道という。
後者のほうが断然上であり理想なのですが
人間はどうしても覇道に奔ってしまう。
上は大国から下は体育会系のバカ教師まで
だいたい同じで
手法として手っ取り早いんでしょうね。

ま、こういうことを考えてた中国四千年も
いまじゃ履き違えたグローバルですっかり
欧米の覇道主義に凝り固まっている。
そんなの中華思想でもなんでもない。
もっともニッポンだって嗤えませんけどね。

それはそれとして、小さな話に戻して
厄介というのは、この力の支配を愛情表現にも
応用してしまうことだ。
まあ、やってる当人たちがそこまで考えているか
どうかは人それぞれなので知りませんが
これはこれで効率的なようで
非常に窮屈なものであると感じる人は
ナイスセンスでお客さんラッキーですねと
いうところでしょうし
そうじゃない人はしんどい人生のハンデを背負ってる
ようなものだと思う。

理想論とかキレイ事とかではなく
まったくの損得の話であって正真正銘の現実論だ。
地獄極楽はあの世にあるんじゃない。
この現世にその人個人個人にあるものです。
そんな力でなんか思い通りにいく道理なんて
ハナからないんだ。
まずそこから考え直してみるの一手では
ないんでしょうか。