あかんたれブルース

継続はチカラかな

亀助に座布団10枚!



今朝の亀助は実によかったなあ
たぶん全国の茶の間に感動のどよめきが出た
ことでしょう。
えっ?朝ドラ『あさが来た』の話ですよ(笑)

ホームドラマ、家族の絆をテーマにしたものは
すくなくないのですが
それを男女の恋慕にからめて良い仕上がりだった。
暴君の父親のちょっとフライング気味の設定も
まあ、仕舞いよければと顔がにやけております。

家とか家族というものを
血縁だけではない
たとえば任侠の世界でいう擬似家族という
つながりでみて、私達が三国志の世界に熱く
なってしまうのもわかるきがする。
結局は家族ってものは他人同士とのつながりから
生まれているんだなあと、改めて思いました。

昨夜はテレ朝で昭和歌謡の番組をやっていました。
ひばり、銀幕スター、ムード歌謡、ものまね、フォーク
などの切り口で昭和の歌謡曲を紹介するという趣向。
そのなかで、フォークソング
時代の変容から
「社会から個へ」と捉えて
そのエポック的な作品にかぐや姫伊勢正三
「22歳の別れ」と「なごり雪」にスポットをある
といった思い切ったものだった。
それに異論はまったくない。
テリー伊藤がいっていましたが
あの時の伊勢正三(作詞作曲)は神がかっていたと。
「22歳の別れ」
あの雨だれのようなスリーフィンガーの
イントロが流れると今でも身震いがするよ。
私達世代にはまさに青春のせつない曲です。

歌は世につれ・・・

けれども個への方向転換と集約は
そこから混沌とした時代の幕開けでもあって
昨今の家族の絆の希薄さが浮き彫りになってしまう
ことにもつながってるのかなあとも思う。

個は同時に孤独ともつながる。
履き違えられた民主主義同様に
個人主義もどこか取りとめもない方向に
暴走していった気もしないではない。
これも時代の、歴史の、プロセスなんでしょうかねえ

それでも
わたしたちには大切にしたいものがある。
人それぞれそれは違うのかもしれないけれど
つきつめれば、それは普遍的なものだとも思う。

番組のラストは海援隊の「母に捧げるバラード」で
締めくくられていました。
もし故郷というものがあるとすれば
お母さん、それはあなたです。
まさにその通りだと思うわけだ。
そういう思いさえマザコンだと揶揄された
時代とかトレンドとか風潮もあったよね。

社会に出たら働け
働いて働いて、それでも休みたいとか思ったら
そのときは死ね。
という母のメッセージに
どこぞの馬鹿からクレームがこないかと
心配する今日この頃です。

稚拙化
これも時代のプロセスなんでしょうかねえ
なんとも酷な段取りですこと。

そんんあことよりも
亀助、よくやった!