あかんたれブルース

継続はチカラかな

昭和商店街の落とし人



遂に五代が死にました(涙)
週タイトル「道を照らす人」
これって小島直記の伝記シリーズタイトルみたいで
なんかグッときてしまいます。
逆境を愛する男たち
夕陽を知らぬ男たち
回り道を選んだ男たち
一燈を提げた男たち
有名無名に関わらず小島が紹介してくれた
日本の近代史のなかの地上の星たち
そういうなかに五代友厚もあったことでしょう。

日本男児かあ・・・

ついつい忘れていまっていた響きだね。
そんなことをこぼせば
「そんなのどうでもいいじゃないですか」と
古市憲寿あたりに嗤われそうですが
「どうでもよくない!」と張り倒してやりたい。

それと同義語に「大和魂」というのもあった。
なんか右翼みたいだね(汗)

「古い奴だお思いでしょうが」
わたしら世代であれば
日系で世界チャンピオンだった藤猛
「Oh! ヤマトダマシイネェ 
 岡山のオバアチャン見てる?」
だったのだ。猫も杓子も

昭和40年代の話さ
時は平成、ジェンダーフリーもすっかり染み付いて
益荒男たちは便座に座って小便をして
ベランダに追いやられて煙草をふかすハックション

大和魂を意識した日本男児は健在だろうか
そういうのが少しでもあったら
いじめもモラハラ汚職も偽装も
一発で解決しそうな、気がします。

西原恵理子の『いけちゃんとぼく』は
少年の旅立ちをテーマとする傑作だった。
一生逃げ切ってやると嘯く友人に対して
主人公は逃げないという選択を誓う。
この負の連鎖を断ち切ろうと
世界の子供たちのなかで少しだけはやく
大人にならざるおえない子供の一人として
誓うのだった。

それでも古市憲寿は言うだろう
「逃げればいいじゃないですか」

カブラヤオウ以来逃げ馬での名馬を知らない。
ツインターボがどんなに鮮やかに逃げ切っても
そこには「まんまと」という形容が付く。
いつまでもどこまでも逃げ切れるものじゃないんだ。
展開に注文をつけてばかりはいられない。

確かに逃げは三十六計のうちのひとつかもしれない。
しかしそればかりじゃあねえ
ドリフが全員高木ブーみたいなもので
ハネマン確定の清一色チンイツ)狙っても
捨て牌でミエミエなのでそう簡単には上がれない。

古市「高木ブーだけでも僕はアリですけどね」
馬太「なんでだよ!」
古市「別にいいじゃないですか」
馬太「よかあねえんだよバカ」
古市「どうでもいいじゃないですか」
馬太「この野郎、ぽか」
古市「ぶったね?父さんにもぶたれたことないのに!」
馬太「お前はアムロか」
古市「安室奈美恵じゃありませんよ」
馬太「どっちでもいいんだろう」
古市「よかあありませんよ」
馬太「勝ってもかぶってもオシメよ」

最後のオチはわかる人にはわかる。
道にものを落としていく人
馬太郎でした。

誰か拾って(涙)