あかんたれブルース

継続はチカラかな

日本人の底力、技術力の復権



土曜日の夜の7時半
平日であればNHKでは
クローズアップ現代ですが
週末は『特報首都圏』という番組をやってる。
たまに、わりとよく観ます。
翌日の午前10時50分に再放送をやってるので
こっちを透析中に観ることも少なくない。

特報首都圏というタイトルから
首都圏のみのローカル番組なのかもしれない。
けれども内容はそれにそぐわない
とても濃いものが多い。
お気に入りの番組だ。

今夜の
「大空に挑んだ技術者たち
 航空機エンジン開発30年」は熱かった。

感動したよ。
感涙です。

ホンダが開発し昨年12月に販売を開始した
小型ジェット機の開発秘話です。
それは30年前に始まった
無謀な挑戦でした。
若い技術者たちが極秘でそれに携わっていました。
みな二十代後半だったという。
何度も挫折を繰り返し
このプロジェクト自体が中止しそうになった。
それを牽引したチームリーダーは・・・
まるでプロジェクトXのようですが
それをもっとあっさりとさりげなく
それなのに最後に嗚咽してしまった。
ちょっと前に民主党のバカ蓮根が
「二番じゃダメなんですか!」と
目をひんむいてマイクに噛み付いていましたが
二番じゃダメ。それじゃあ売れないんだ。
それがホンダのこの技術者たちの難題だったのだ。
その30年の歳月
この挑戦者たちはわたしと同年代だったので
また感慨もひとしおでした。

バブル崩壊後を失われた10年とかいう。
先の戦争、その敗戦がなければ
日本は世界有数の航空機技術大国となっていた
ことでしょう。
三菱も川西も中島などなど
みなその開発や製造を取りやめるしかなかった。
まさに空白の失われた70年だったわけです。
それはゼロからの再スタートというよりも
マイナスからの再挑戦だったかもしれない。
しかし、それを成し得たのは
浜松の小さなバイク屋だった本田技研工業だった。
ホンダは二輪車から四輪の自動車開発に着手し
世界のホンダとなったことはご承知も通り。
そこには創業者本田宗一郎のスピリットがあった。
それは神話として語り継がれている。
それを既に過去のものという人もいますが
そのレジェンドがいまだ息づいていることを
立証したのが今回の小型ジェット機の開発だ。
開発者のひとりが語っていた
「ホンダという会社は何か大きな変革を起こすとき
 必ずしもトップダウンではない」と

様々な感慨を胸に
番組を追っているとき
ある予感が・・・

狸親爺の愛称をもつこのチームリーダーは
普段は暇そうにしていたのですが
その実・・・
仕事って、リーダーって
息子に是非観せたいので録画してみます。

明日、午前10時50分に
NHK総合で再放送しますので
もし観れたら観てください。
日本人もやっぱり捨てたもんじゃない。