あかんたれブルース

継続はチカラかな

蛙と老人

雨音で目が覚めて起きてみたら
3時半でした。
3月9日、鹿児島は一日雨だそうです。

静かな雨が降っている。
マンションとちがって戸建てだと
外の様子が手に取るようにさっせられる。

雨足がすこしつよくなったようです。

昨日一昨日は快晴だったのですが
この雨を察してか庭で蛙が泣いていた。
蛙?
海岸線付近のこの一帯には昔から
蛙なんて棲息していなかったのに。。。
ギコギコ鳴いていました。
そのこと母に話しても耳の遠い母には
さっぱりわからないようです。

昨年9月12日に遭遇した
実家の天井を重力を無視して飛び跳ねていた
得体の知れないもののけはやはり蛙の類いだったのか
宇宙蛙とか?

わたしにとっては衝撃的な第一接近遭遇でしたが
あれ以上の展開もなかったことから
語った相手を困惑させるだけでイマイチなんですよね。
こうやって夜中にブログ打ってるときに
それか四六時中でも頭上で
ピョンピョンやってくれたら違うかなあ
それでも母にはしたら気付かず我関せずか
ぼけ老人の世迷い事で片付けられるのか

わたしはボケてない!

母のひとつ上に姉妹のように育った従姉妹がいます。
女学校を出た良妻賢母で人柄もよい人でした。
数年前からボケちゃいましてね。
そんな話は耳にはしていたんですが
昨年秋に帰ったときに母には同行して
地元の介護施設に見舞いにいきました。
そこは痴呆症の老人を預かるグループホーム
いたって小綺麗なところでした。

十数年ぶりにのおばさんでしたが
綺麗なお婆ちゃんになっててペギー葉山のようだった。
対して病み上がりの母は足元がふらついて
萎びたチンパンジーのようでした。
それで、おばさんは完全にボケていた。

今現在と遠い過去の記憶しかない。
それは彼女の母が存命だった頃までのことで
しきりに母親のこちを案じているのです。
逆算すれば、彼女の人生のなか50年が
すっぽり消去されているのだ。
当然、わたしのことなんかおぼえていない。
うちの母親の息子って認識できなくて
見舞い中の小1時間に何度も何度も
自己紹介を繰り返したものでした。
こういったリフレインは身内にとっては
つらいことでしょう。
それに比べたら
うちの萎びたパン君はまだマシか

介護とか痴呆症の問題は
これからもっともっと大きくなる。
私自身が老人となりそういう人になるんだもんね。

比較ではなく
と、前置きして

介護は大変だとは思う。
と同時に、子育ても大変だ。
そういうことをネガティブに捉えたくない。
すくなくともわたしにとっての子育ては楽しかった。
そしてうちの母親
帰って一緒に過ごすなかでの噛み合わない言動
子供としては切なく苛立ったりもするけれど
そんななかでの母の笑顔や喜ぶ姿をみると
とても癒されるのです。
あとどれだけこういう時間を過ごせるだろうか

先々とか後々のことばかり憂いて生きるのって
つらいよ。
大事なのは常に今現在のここだと思う。

わたしが起きて居間でブログ打ってたら
母が心配して起きてきました。
うるさいので寝床の戻って二度寝するかな。
外は雨音
蛙の声はきこえません。