あかんたれブルース

継続はチカラかな

歴史を否定する国民

表現、言論の自由を主張し
強く訴えていながら
その逆に自らそれを抑圧している現代の日本人
その最大の本丸が国旗「日の丸」と国歌「君が代
それをもって戦前の日本の負の歴史のシンボルとし
それを否定することが大事という
陳腐で稚拙な思想というか因習がまかり通って久しい。

国旗国歌不要論がまことしやかに語られ
それが進歩的リベラル人の基本的スタンスのように
勘違いされているようです。
公式式典での国旗掲揚国歌斉唱を拒絶することが
反戦レジスタンスといわんばかり

阿保らしい。

そういう風潮に対しジレンマと理不尽を訴える人からは
歴史的な天皇の存在と日本人の民族性という
アプローチで問いただそうとしている。
それはそうだと納得する反面
天皇を持ち出すことが逆効果ではないかと危惧します。

日の丸と君が代天皇制度とその存在とリンクしている。
無関心な多くの日本人は直接自分たちの生活に
関係しないことであれば別にどうでもよく
天皇・皇室は別としても
そんなに問題なら国旗も国歌も、別に
という具合で
それに危惧する人たちが一生懸命に天皇の存在を
いえばいうほど体温差から乖離していくよで不安になる。

天皇を肯定すれば
あたかも即、右翼。というパブロフの犬状態。
だからね。
これは同時に右翼の堕落という現実もある。
暴力団や部落解放団体との区別がつかないし
近頃のネトウヨの存在も無縁じゃない。
イメージ悪いんだよね。
その「雰囲気」だけで左に傾いていく。
そっちのほうが無難というものなんでしょうねえ。
その船頭がマスコミ。いつの時代もこれだ。

天皇皇后陛下に対して
どこをどうみても非の打ちどころが見当たらない
尊敬さえしているわたしとしては
狂信的な天皇否定論者には辟易させられます。
なかには平気で殺せというキチガイもいるしね。

そんな「君が代」が嫌なら「海ゆかば」に替えたら
という面白い意見がありました。
軍歌じゃないかと目を三角にする連中の姿が目にうかぶ。
軍歌は軍歌であっても戦時中この歌がどういうふうに
国民の胸に染み渡ったか考えてごらんよ。
景気のよい軍艦マーチとは異質なのだ。
本来ならば日教組が両手をあげて賛成しそうな代案に
思わず顔がにやけてしまいました。
いずれにしてもそういうハイセンスは通じない。

国歌国旗を否定することは天皇を否定すること。
それは日本の歴史文化を否定することでもある。

君が代」の歌詞は『古今和歌集』から
ついでにいえば「海ゆかば」は『万葉集』からのもの
作者大伴家持だ。

国旗とか国歌というものを
真剣に考えてみるのもいい頃合いではないか。

なに、海だけじゃ片手落ち?
アホ! 山ゆかばもあるじゃんか。

なに、片手落ちは差別用語だあ?

もう言うこと無し、感無量。