あかんたれブルース

継続はチカラかな

才能という名の電車

才能というものを、個別の特性とは別に
やや否定的に記しました。

これは先天的なものというよりも
後天的なものというニュアンスです。
そこには環境というものが大きく影響してる。
外部的な要因です。

歴史的なアプローチからいえば
明治維新はひとつの町内と私塾から
なしえられた。といわれている。
一町内とは薩摩の加治屋町であり
一私塾とは松下村塾のことです。

無論、明治維新薩長西南雄藩だけでやったとはいわない。
けれども薩摩の加治屋町と長州の松下村の出身者が
多大な働きをしたことは間違いありません。
これを単に「閥」とか縁故地縁仲良し組とはいえません。
各自それなりの仕事をやっていますからねえ。
総理大臣から大臣、将軍などなど
馬鹿ではできない。

話をもう少しさかのぼり
現在のNHK大河『真田丸
その第二部では大阪城に集う秀吉側近の武将たちが
顔を揃えている。
戦国武将オールスター総出演てな感じです。
秀吉の地縁からの秀長、清正、福島正則などの武闘派
近江長浜時代に取立られた三成、大谷吉継などの官吏派
後者はそれなりの才覚があったからスカウトされたんでしょうが
前者だってそうクズばかりとはいえない。
せいぜい小早川秀秋ぐらいなものです。

結論からいえば、要は「場」なんですよね。
そういう場を与えられたときに
プレッシャーにへこたれず、
己の役割をまっとうできるか否か。
才能というならば、ココかもしれない。
つまり場を与えられて一番戸惑っていたのが当の本人だった。
相当なプレッシャーだと思う。

維新後、生き残って政府の中枢にいた
志士の出がらしみたいな
伊藤博文井上馨陸奥宗光などが大久保利通までが
新橋から鉄道に乗って横浜の富貴楼に足げに通う。
茶屋や料亭ならば東京にもあっただろうに
富貴楼の女将お倉に会いにいっていた。
大丈夫大丈夫俺は大丈夫
この鉄道も俺が通したんだ
俺は大丈夫。
という確認作業から己を保っていたようです。

こんなものかと思う。

逆に、才能を発揮できないものたちとは
場を得られなかったもの
もしくは、それを意識できなかったもの
それが故に身を持ち崩していくもの
場を与えられてもプレッシャーで潰れていくもの

才能という名の電車に乗って
何処へいくのか