あかんたれブルース

継続はチカラかな

18歳の倅へのエール

連休前、息子が五月病気味みたいなので
相談にのってほしいとのカミさんからの伝言。
工業デザイナーを目指して
胸膨らませてFカップルで入学したものの
初年度のカリキュラムは
英語数学物理といった面白くない基礎ばっかりで
肩透かし、途方にくれた模様。
そこから
「自分はクリエイターに向いているのだろうか」
「本当にこの道を選んでよかったのか」
それから
「自分には・・才能があるのか」
といった具合に漠然とした憂鬱がドローンと
押し寄せたようです。

電話入れたときは
既にかなり立ち直っていてたいした程でもありませんでしたが
久々に父子の、また先輩としての会話ができて
楽しかったです。

そのなかで、わたしが息子に伝えたことは

才能なんてものは端から備わっているものじゃない。
適性というものはあるだろうけれど
要は好きかどうか
でも好きになるのも訓練とか経験を要するものだよ。
学校なんかで教わることなんて
実際に社会に出て学ぶことと比べたら
ほんの一握りのものだ。
パパなんかも何の自信も確信も持ててなかったし
才能なんてこれぽちも意識できないでいた。
だから最初の5年ほどは
仕事が怖くて仕方なかったものさ。
そういう不安は三十代前半まで確かにあったと思う。
いやいくつになってもあったよ。

だからさ、そんな18歳ぐらいで
コレって手応えがなく漠然としてるからって
焦ることじゃないよ。
逆に最初からそういうのがあるほうが気味悪い。
またそういう人たちの多くが挫折していった姿を
たくさんみてきてもいるしね。

今は、まだ白紙のサラの状態なのだから
色々なことを吸収して土壌作りを心掛けることだと思うよ。
どんなものでも無駄なことなんてないからね。

のようなことを語ったと思います。

才能才能というけれど
これは後付けで第三者が誉めそやすときの言葉か
否定するときに使う常套句だったように思う。
当事者は常に不安と希望の間で
孤独のなかで脂汗を流しているものです。

もっとも恐ろしいものは、退屈というやつだ。
適性というものの査定があるとすれば
退屈に適応できる体質か否かどうか
変化を選択する勇気と知力があるかどうか
それくらいじゃないのかねえ。

根気よく、自分を信じてやっていれば
好きにもなるし
上手にやれることよりも
楽しくやれる奴のほうが強いからね。

やっちゃえKちゃん!

これから色々と大変だろうとは思うけれど
それが眩しく羨ましいパパでした。