あかんたれブルース

継続はチカラかな

侵略戦争とは何か

1904年日露戦争勃発。
明治維新からたったの37年で
日本は大国ロシアと戦った。
当時ロシアは世界最大最強の陸軍を誇っていた。
その国力差8倍、常備兵力15倍の強大国と
国家命運をかけて戦ったのだ。
維新前、年号が明治以前の日本が長きにわたり
鎖国政策をとり極東の片隅でタイムカプセルに入ったごとく
世界から孤立して産業革命も欧米列強の植民地政策も蚊帳の外で
安穏の暮らしていたかと思うと信じられない暴挙である。
この島国の太平の眠りを覚ましたのは外圧だった。
黒船来航から開港と不平等条約を押し付けられ
欧米の植民地政策のターゲットにされるプレッシャーから
尊王攘夷が叫ばれ大政奉還から明治に革って
たったの37年である。
その10年前、日清戦争後の三国干渉で
既にこの戦いの決意は決っせられていただろう。
ロシアの驚異という外圧が否応なく
日本国を日本国民を駆り立てたのだ。
それは自主独立の究極の選択であり、国家存亡の危機でもあった。
維新後、日本は遅ればせながら近代国家への道を邁進させた。
その悲願は欧米諸国と肩を並べることで対等な立場から
悲願の不平等条約改正だった。
そのための富国強兵であり、増税につぐ増税で陸海軍を
育ててきたのだが、その裏腹で大国ロシアと戦うことに
不安を持たないものは少なくなかっただろう。
無謀な挑戦だったのだ。
元老伊藤博文は最後までこの無謀な戦いを
回避させようとした一人だった。
しかし、ロシアはそれを許さない。
いや、時代が許さなかったというほうが正しいのかもしれない。
近年この戦争を日本の侵略戦争と位置づける主張が横行しているが
歴史を冷静に俯瞰すればそれは荒唐無稽な屁理屈ではないか。
当時の時代環境、国際情勢を考えあわせ
感情論や建前ではなく
歴史というものを科学するというスタンスがあれば
到底そういうアイデアは生まれない。
同時に日本人がここ国の歴史をいかに蔑ろにしてきたか
という証でもある。
約一世紀前の日本人がいかにこの無謀な戦争を戦ったか
まず、その姿を通してそのことを考えてほしい。
私達の三、四世代前の太郎や二郎や三郎の姿を通して
考えてほしい。