あかんたれブルース

継続はチカラかな

ネジレとトリック

よく否定的批判的意味で
「保守」「保守的」という言葉が使われいる。

多くの憲法学者
集団的自衛権行使は憲法違反である主張する。
しかし、その憲法自体に問題があるとして
憲法自体をおいそれと変えられない現状において
そのツナギ手段として
それが大問題なのかはなはだ疑問だ。

ひと頃は自衛隊さえ
憲法違反と糾弾されていたもんだよ。
これも厳密にいえば憲法違反なんだろうけれど、
違反になってしまう憲法自体の問題を
考えるという方向にはいかないのか

こう考えると
憲法学者って保守的ということになる。
護憲派も保守派であり
安保法制反対の革新野党は保守野党ではないか。

という奇妙なネジレ歪み現象に
気づく人は少なくないと思いますよ。

ここに時代の歴史のトリックがある。

私たちは「歴史は繰り返す」というジンクスを
鵜呑みにしています。
あくまで持論ですが歴史はグルグル繰り返さない。
螺旋状にある方向に進行している。
その螺旋と螺旋の間隔が狭まるとき
繰り返したという錯覚に陥る。
というか歴史には法則性というのがあるから
そういう相似状態があるのは当然だ。
でも、繰り返さない。
似てるけれどまったく同じではないんだ。

たぶんに、雰囲気とかで
今の時代を戦前の日本に逆戻りするようで
とにかく反対してる人は多いかと思う。
でもそれは逆だよ。
歴史にリトマス試験紙みたいなものがあるとすれば
こと近代現代史においては『マスコミ』だ。

たとえば、日露戦争を煽ったのもマスコミで
講和条約に反対し戦争続行を訴えたのも
マスコミでした。
そのマスコミが先の日中戦争太平洋戦争を
煽ったわけだ。
一部の軍部と右翼ではなく
ほとんどのマスコミと一部の軍部と右翼

とするのが正しい表現である。

でね、改心したかどうかは知らないマスコミの
現在の姿勢ありかた、言動をみて
そんなことあるかいブン屋根性百まで踊り忘れず。
つまり、マスコミをリトマス試験紙として
彼らが何を煽ってるか
ここがポイントなのだ。

最近ようやくマスコミの偏向報道が問題視
されてきましたが
羊の皮を被ってさも国民の味方みたいに胸張ってる
けれど、こんな質の悪い連中はいないのだ。
また良識ある者は殺される。身内からだ。

今なにがどう行われているか
マスコミの動きを通して観てください。
そして、彼らがどこで手の平を返すかも
いつの時代もワンパターンな
ポピュリズムの権化
ルサンチマンの放火魔
時代のリトマス試験紙は赤くなったり青くなったり