あかんたれブルース

継続はチカラかな

人工知能までで曲がり角

後の世界と科学の進化(3)

話を最初にちょっと戻して
その『ホンマでっか!?TV』では
欧米では死後の世界があるというのは当たり前で
そのアリナシに悩むのは宗教心の希薄な
日本人特有のものだと指摘していました。

ま、一理はあるとして、
はたして日本人は死後の世界に懐疑的なのか?

そんなこともないと思う。
日本には風土伝統として呪い祟りの信仰がある。
そして何よりも心中という文化があった。
切腹とか
殉死だって同じ町内のものだ。
玉砕だって無関係じゃない。

だから一理はあっても
それだけじゃあ納得はいかない。

むしろ無神論者と自称合理的現実主義者の
融合が幅をきかせている風潮のあらわれであり
もっと哲学的に歴史的に柔軟に考えれば
そうそう目を三角に口を尖らせることでも
ないようにも思うのですが、ね。
即、オカルト、信仰宗教、詐欺商法と
結びつけるところに警戒と正義感があるんだろう。

現在、第四次産業革命に対して
様々な憶測が囁かれていますが
わたしがそれを精神的なものではないかと考えるのは
第一次からの発展から実質産業の発展ばかりに
邁進してきて、それに伴い
人間が人間らしからぬ瀬戸際に追い詰められて
ニッチもサッチもいかないのが今現在の
人間世界のありようではないかと思うからです。

なかでも人工知能の発展と普及は
私達の生活を大きく変えてしまいそうです。
多くの仕事がなくなってしまう。
少子高齢化どころの話じゃない。

そいうう社会を支えるために
プログラミングにたずさわる人材の育成が
急務であると小学校からそういう教育を
はじめるというニュースがありましたが
先のIT革命のことを思い出してごらんよ
あれほど持て囃されたオペレーターの末路を。
きっとまた使い捨てにされるのだ。
ぼろきれのように。

少子高齢化問題の根本には
税収の確保というのがあります。
そこには資本主義の宿命とでもいうべき
格差というものがある。

この格差には人ひとりの命の値段の格差があって
広島長崎の原爆投下も
ベトナム戦争の枯れ葉剤も
クラスター爆弾劣化ウラン弾
そして、テロも
みーんなそれが原因しているんじゃあないのか。

富の椅子とりゲームも床が抜けたらジエンドだ。
踏み付けにする労働者消費者がいなければ
そこには無秩序なカオスしかない。

それを救えるのは革命でもない。
それはあるだろうけれど、
結果としてうまくはいきません。
混乱混迷を極めるだけ。
中東やアフリカのネット革命が良い見本です。

これも歴史、そのプロセスでしょうかね。
再度繰り返しますが
歴史は繰り返さない。
意思をもってある方向に螺旋状に動いているんだ。
その相似情景を
繰り返しているように感じるのは錯覚なのだ。

つづく