あかんたれブルース

継続はチカラかな

『ダビンチ・コード』の「M」と『坂の上の雲』の「M」

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 映画『ダビンチ・コード』が凄い話題です。原作も結構売れているようです。
 イエス・キリストマグダラのマリアと結ばれていた。という人間的に当たり前な事実が
 教会関係者には「ケシカラン!」ということで、公開中止騒動と大変なようです。
 それっくらいなら大したことはありませんが、その秘密を握るシオン騎士団は大変な迫害を受けたとか。
 天才ダビンチは自らの作品に巧妙にその真実を埋め込んでいた。という内容でしょうか。

 「最後の晩餐」の絵をじっと見つめる私はある妄想に駆られます。
 嗚呼、これは司馬遼太郎が解き明かした「日露戦争」のタブーじゃないか!
 司馬はこの「最後の晩餐」からイエス・キリストではなく乃木希典の真実を解き明かしたのか。
 と、ひとり納得。『ダビンチ・コード』ではなく『シバッチ・コード』です。

 軍神・乃木希典を「無能」と評した『坂の上の雲』は先々月までは名作中の名作でしたが、
 最近では捏造小説だの「司馬史観」が怪しからんと大暴落の整理ポスト扱いであります。
 なにも小説なのにそこまで敵にしなくても、なあんて言っちゃうとさあ大変。
 とてもここで紹介できそうもない表現の罵倒三昧雨アラレ。まあ、2ちゃんねるでの話ですが。

 あの国民的作家がなんでここまで恨みを買う作品を世に出してしまったか、と。
 誰もが不思議に思うところではないででしょうか。
 ダビンチが「最後の晩餐」に隠した「M」も暗号がマグダラのマリアをであれば
 司馬が『坂の上の雲』に刻んだのが「無能」の「む」の「M」か「希典」の「M」か
 しかし、『関ヶ原』の石田三成同様にそこはそこで読者は「哀れと愛」を感じるですが、
 事態はそう生やさしいものではないようです。
 是が非でも「乃木希典」は「名将」(これも「M」)でなければならないようです。
 「それでも地球は回っている」と東京ガスのCMでガリレオは唱えますが、
 旅順を消耗戦と位置づければ流石に乃木も名将なのでしょう。か?
 それで合点がいけばみんな幸せ、そうならないところが世の中の厳しいところ。
 「なんで、消耗戦にしなきゃならないんだよ!」と憤慨する良識派も多いのです。

 乃木に対しては同情するのですが(本音で)、
 こう名将を誇示されると些か辟易してしまって、なんかシラケてしまうんですよね。
 気持ちと裏腹に糾弾してしまいたくなる。(まったく贔屓の引き倒しだよ)
 「白襷隊」という呪文ひとつでそれは可能なのですが空しさしか残りません。
 乃木だって自分の希望で神に祀られたわけでもないのに、可哀想ですよ。
 まさか司馬もこんな事になるとは考えもしなかったようです。
 はやく乃木を解き放してあげて、
 神様ってとっても不自由!