あかんたれブルース

継続はチカラかな

明日の上等兵、真っ青。


毎度のことですが、
表現という手法捉らえ方において
フィクションとノンフィクションを考えさせられる。

このなかにある延長線上に
実録とか実話とかドキュメンタリーとか報道とか
真実があると考えられているわけで
お笑いや娯楽より悲劇や芸術が上等と考えられてように
フィクションよりノンフィクションの方が
肝吸い付きの特上なのだ。


『新仁義の墓場』も『靖国』も
ここが問題なんだよね。

『新仁義の墓場』は実録を臭わせながら
モデルの主人公名を変えたのは
この作品がフィクションであることの証です。
その理由のいくつかは容易に想像できる。
ま、企画段階での壁を解決するためのものでしょうね。
その打開策から
和製ターミネーターバイオレンスが誕生したわけだ。
実録を臭わせるのはあくまでも興行的目的。

その意味で、実録とは私達には興味津々の魅力だが
作り手には骨の折れる面倒なものです。

実録ものの最高傑作たる
仁義なき戦い』シリーズでさえ
三作から四作目に至って、主人公に対する
観客のヤキモキは頂上に達する。
だから『頂上作戦』であり、巨匠笠原和夫
そこを実話実録で納得させてくれた。
エンターテイメントと実話をコラボさせて
お釣りがきてるわけです。
そこには膨大なテマヒマと能力を要する。
深作の『仁義の墓場』にもそれはある。
が、三池の『新人仁義の墓場』にはそれがない。

お次は昨日酷評で斬って捨てた『靖国
この駄作をしてドキュメンタリーを逃げ道としてる
といったのも上記の理由からだ。
実録とかが興行的な下駄になるのと同時に
ドキュメンタリーは評価が甘く寛容になる。
だからこんなヌルイ作品が賞を受賞するのだ。

この作品の問題点には
戦時中の「百人斬り」を事実として
それに日本刀と九十歳の刀鍛治を絡めていることが
あげられる。巧妙に意図的に悪質に。
そこに弁明があるとすれば、監督の日本文化に対する
無理解と教養見識のなさだ。
といって、この「百人斬り」を事実として報じたのが
朝日新聞毎日新聞ときたもんだから始末が悪い。
ノンフィクション以前の報道からしてこれだもんね。

これは従軍慰安婦問題でも同じ。
たとえ事実を突き付けても朝日は決して認めない。
要は引っ込みがつかないというのと
メディアとしての死活問題なのだ。

時代劇チャンバラ(の殺陣)はフィクションですよね。
歌舞伎からの延長で舞うように立ち回る。
映画だったら百人斬るのも可能だけれど
リアルだったら2、3人が限界。
マカロニウエスタンで蓮根コルトから何十発も
弾が飛び出すのと同じ。
山守さんまだ弾は残っちょるがよだ。

ま、とにかく当時の新聞報道の日付と
加害者の役職から白髪三千丈の記者の捏造だな。
重要なのはこの捏造問題に
南京事件も含まれていることにある。

フィクションとノンフィクションから
話を転がしてきましたが
報道というものが面白いからって
フィクションで仕立てられていいのか。
いいわけない。
そんなことは朝日新聞でも百も承知だ。

だからシラをきる。

だって百人斬りに仕立てられた士官は
戦犯として処刑されてるわけだ。
殺した下手人は朝日と毎日ってことになるもんね。

創作という作業において
ノンフィクションよりフィクションのほうが
自由で楽だ。けれど、リアリティーに欠けるから
工夫が求められる。
黒澤も深作も工夫した。
朝日はそんな面倒なことはしない。
シラをきる。だけで事足りと。
それでも、先日の米軍資料で
模倣犯の毎日のケツがわれてきたもようです。
ようやく風向きが変わってきた?

さて、諸君。次は南京だ。
言論表現の自由という大義名分に潜む
フィクション報道を是正しない限り
この悪夢のような呪縛に未来永劫翻弄させられるのだ。
まず、ここから糾さないとあきまへん。

それとも歴史自体がフィクションの記録と
あきらめてしまうか

あしたはどっちだああ♪