あかんたれブルース

継続はチカラかな

恐い魅力のお仕事


とと姉ちゃんが出版業に乗り出して
ワクワクしながら観戦しています。
物がない時代からの出発。
マニュアルもシステムも確立されていない
なにもかも手作りの作業。
三姉妹のちゃぶ台での編集会議
微笑ましい。

藤子不二雄の自伝的作品『まんが道』のなかで
若き両氏が手作り雑誌をつくる。
その目次のようなワクワク感があります。
作者(文も絵も)も編集者も製本も兼任
漫画の場合はね作画と原作者が同じケースが多いから
二人で一冊なんてことも可能だったんでしょう。
稚拙ではあるかもしれないけれど、楽しそう。

昭和5、60年頃になると出版業も分業化が確立し
編集者の他にライター、制作会社、
アートディレクター、デザイナー、
カメラマン、スタイリスト、ヘアメーク、
イラストレーターなどなど
様々な人間が関わってきます。
プロぽいといえばそうだし
洗練されてきたといえばそうだろうが
面白いかといえば、どうだったかなあ

雑誌や本の出版には魔力というか
恐い魅力があります。
出版物を発行し流通させるには
出版コードというのが必要で
これは相撲取りの親方株みたいなもので
高値で売り買いされていた。
今はどれほどの価値があるのしらん

とと姉ちゃんの叔父さんがいうように
当たれば大きいけれど外れても大きい。
そして右肩下がりで外れることが多くなり
返本率九割以上とういう商品が珍しくなくなった。
その一割から万引き分を差し引いたら?

実に、恐い )゚0゚(ヒィィ

新雑誌創刊にも何度も立ち合いました。
雑誌一冊、単行本一冊
骨の折れる作業で途方に暮れるものでした。
わりと大手のデザイン事務所に勤めていたのですが
メインのレギュラー商品は女性スタッフで固められ
私達男組どもは単身でまるまる一冊押し付けられ
その骨を拾う者なしという苛酷なものだった。
割り付けといっても一人で300頁も担当するわけです。
到底一人じゃ間に合わない、締め切りがあるしね。
外注の手配も自分でやらないといけない。
なだめたりすかしたり脅したり値切ったり
ラフの描けない編集者のかわりに
絵コンテ描いたり、撮影立ち合いにいったり
一人で何役もやっててんてこ舞いでした。

大変だったけどそれはそれで楽しかった。
たぶん記憶がそういうふうに記録されてるんでしょう。
だからなのか
とと姉ちゃんの奮闘記にワクワクしてしまう。
のかもね。