あかんたれブルース

継続はチカラかな

二次元の紙の世界で


そんなわけで戦後出版黎明期を舞台に移す
朝の連ドラ『とと姉ちゃん』を微笑ましくも
眩しく観ています。
特に 唐沢寿明演ずる花山伊佐次(実在のモデルは花森安治)には
自分をダブらせてしまう。おこがましいのですが。
ああいう仕事をしてたのです。ああいう感じで。
しかし聞きしに勝る偏屈変人だなあ( ̄□ ̄;)
と思うけれど、わたし自身も偏屈と言われたし
今でも変人扱いされている。変態ともいわれるし
話の合う友達はJJ. ぐらいです(*_*)。

伝説の出版人花森安治
グラフィックデザイナーでもあり
コピーライターでもあり、当然優秀な編集者でした。
もっと細かくいうとプランナーでもあり記者でもあり
ライターでもありイラストレーターでもあったわけで
今でいうところのスーパーバイザーとでもいうのか
いや、花森は管理マネージングは無理そうなので
違うかな。
ま、チャップリンのような
手塚治虫のような、エディトルリアの天才であり
私達出版に携わるものにとって
『暮らしの手帳』はバイブル的なお手本だった。

もう一人、リスペクトする天才に
大伴昌司という天才がいる。
少年マガジンの巻頭特集やウルトラ怪獣図鑑で
その名を知る人もいるかもしれない。
この人も多彩な才能の持ち主で
はたして花森と同次元に置いていいのか疑問ですが
一流のエディター、構成作家、プランナーだったのは
確かだと思う。

わたしが26歳ぐらいでしたか
講談社のビジュアル誌の創刊に
チーフデザイナーとして携わったとき
アートディレクターのKさんと共に
当日局長だった内田勝氏から
「大伴昌司のように」と薫陶激励注文され
えらいプレッシャーをあたえられたものです。
内田さんは元少年マガジンの名物編集長で
力石徹の葬式をやったカリスマ編集者だった。

この新雑誌でわたしが最も刺激を受けたのが
外部招聘の広瀬隆氏です。反原発運動で著名ですよね。
この人の知識、構成力は際立っていた。凄かった。
無理難題を突きつけられて辟易させられた
こともありましたが
上記の二人ほどの天才性はないけれど、
圧倒されたものです。

職人はその技を達人から盗むといいますが
わたしは密か広瀬隆氏の構成術を盗もうと躍起でした。
その手掛かりは「映画」だった。
広瀬さんは映画を作るように雑誌を組み立てていく
そのリードコピーは映画のナレーションのノリでした。
「広瀬さん映画好きでしょう」
わたしは間接的にそうカマをかけたところ
ビンゴーだった。
ま、歴代米国農務長官の切り抜き写真に
麦わら帽子を被らせる
という発想は凡人秀才では捻り出せない。

雑誌文化、雑誌の時代
そういうのがあった。

今? もうないよ。

分業化がすすみ
自分で原稿書く編集者も少ない。
ほとんどがマネージング主体。
第一、雑誌自体がさほど必要とされていないし
活字はデジタル化されて読者から乖離していきました。


とと姉ちゃんをみながら
そういう思いが交差しては瞬いて、眩しいのだ。