あかんたれブルース

継続はチカラかな

メディアファッショ終焉の序曲

昨夜NHK総合の未解決事件シリーズの
ロッキード事件』を興味深く観ました。
結局事件の真相は氷山の一角しか明らかにされず
ある意味で
法と報道の限界というか敗北だったようです。
とは別に、最近田中角栄がブームみたい。
いったいあの事件は何だったのか?

番組内で立花隆だったか台本だったかが
「時代」というキーワードを提示していた。
戦後日本が復興高度成長する過程のなかで
ひとつの時代の終焉、区切りのようなものだったと。
これがちょっと感慨深かかった。

数日前に大橋巨泉が亡くなった。
その数日前には永六輔が亡くなっている。
二人とも戦後のメディアを象徴する人物だ。
特に巨泉は「テレビ」と限定してもいいでしょう。
なんとなくひとつの時代が終わった気がした。

例えば、昭和という時代が終わると同時に
手塚治虫美空ひばりが平成元年に死去したように
健さんが亡くなり文太が相次いで亡くなったように
そういうのは実に象徴的な現象として起こる。

ロッキード事件の後しばらくして
あれは田中角栄失脚のために巧妙に仕組まれた
アメリカの陰謀だったという陰謀説が流布された。
理由は中国に接近した田中外交に対して
警戒したからだという。

鳥越俊太郎のセクハラ醜聞疑惑で
鳥越さんから開口一番飛び出したのが「陰謀」だった。
匂いがすると。
こういうのにはホトホトうんざりさせられる。
スキャンダルをネタにしてた人間がよく言うよ
というかそういう人間だから言えるのかもしれない。
まったく学研ムーのレベルだ。
ジャーナリストという人種がだよ。
すべてが、とはいわないけれどひとつの傾向として。

確かにマスコミに対する不信感は募っている
けれどもジャーナリストというのには
どこか畏敬の念があったように思われる。だいぶ怪しいけれど

もっと大きな括りでメディアという媒体から
露出度の多いタレントや文化人が政治の世界に出て
久しいわけです。
今回の都知事選もそうですよね。その前の都知事って
舛添、猪瀬、石原、青島とさかのぼって
みーんなメディア人だったわけです。

古くはコロンビアトップ、談志、横山ノック
山口淑子までさかのぼるのかわかりませんが
知名度を有するタレント議員の歴史は続いている。
やわらちゃんも橋下さんも東もそのクチだ。
それが悪いとはいわない。
ちょっと前までは自民党内では党人派と官僚派に
分類されて対立構造がありましたが
一派ではないけれどタレント、メディア人というのも
政治家としてのラインとして存在してたわけで
大橋巨泉だって例外じゃなかった。

で、さ、最近はこの王道にタレント芸人文化人の他に
テレビキャスターとか
ジャーナリストが進出してきているわけです。
小池さんもそうだし橋本二郎などもそうでしたが
極めつけがジャーナリストという看板を全面的に
押し出したのが今回鹿児島県知事に当選した
三反園訓元テレ朝解説委員であり
そしてトドメが我等の鳥越俊太郎だったわけだ。

そして案の定というかこのブログで散々
やるぞやられるぞと言ってた通りにまんま
墓穴を掘ってくれました。
しかもその対応が乙武君以上に悪く
下手すると舛添さんを超える下衆の極みになるかも。
これはすなわちジャーナリスト神話の崩壊の序曲であり
国民の目を醒ますのには絶好調の機会となる。
同時に、テレビのメディアのジャーナリズムの時代の
終焉というか死を意味するのではないか。
引導を引き寄せたのが民進党野党連合なのか
鳥越さん自身なのか
渡したのが文春なのか被害者の旦那なのか知らない。

ロッキード事件と巨泉の死を重ねて
パンツをはかずに
ファッションステテコをはいてる馬太郎は
報道ファッショというものを思い
その終焉に密かにほくそ笑むのだった( ̄ー ̄)ニヤリ

行け行け鳥越俊太郎
ブーメラン型自爆最終兵器で旧時代の迷信を
木っ端みじんに粉砕しておくれ。
昨夜NHK総合の未解決事件シリーズの
ロッキード事件』を興味深く観ました。
結局事件の真相は氷山の一角しか明らかにされず
ある意味で
法と報道の限界というか敗北だったようです。
とは別に、最近田中角栄がブームみたい。
いったいあの事件は何だったのか?

番組内で立花隆だったか台本だったかが
「時代」というキーワードを提示していた。
戦後日本が復興高度成長する過程のなかで
ひとつの時代の終焉、区切りのようなものだと。
これがちょっと感慨深かかった。

数日前に大橋巨泉が亡くなった。
その数日前には永六輔が亡くなっている。
二人とも戦後のメディアを象徴する人物だ。
特に巨泉は「テレビ」と限定してもいいでしょう。
なんとなくひとつの時代が終わった気がした。

例えば、昭和という時代が終わると同時に
手塚治虫美空ひばりが死去したように
健さんが亡くなり文太が相次いで亡くなったように
そういうのは実に象徴的な現象として起こる。

ロッキード事件の後しばらくして
あれは田中角栄失脚のために巧妙に仕組まれた
アメリカの陰謀だったという陰謀説が流布された。
理由は中国に接近した田中外交に対して
警戒したからだという。

鳥越俊太郎のセクハラ醜聞疑惑で
鳥越さんから開口一番飛び出したのが「陰謀」だった。
こういうのにはホトホトうんざりさせられる。
スキャンダルをネタにして人間がよく言うよ
というかそういう人間だから言えるのかもしれない。
まったく学研ムーのレベルだ。
ジャーナリストという人種がだよ。
すべてが、とはいわないけれどひとつの傾向として。
確かにマスコミに対する不信感は募っていた
けれどもどこかでジャーナリストというのには
どこか畏敬の念があったように思われる。
もっと大きな括りでメディアという媒体から
露出度の多いタレントや文化人が政治の世界に出て
久しいわけです。
今回の都知事選もそうですが、その前の
舛添、猪瀬、石原、青島とさかのぼって
みーんなメディア人だったわけです。
古くはコロンビアトップ、談志、横山ノック
山口淑子までさかのぼるのかわかりませんが
知名度を有するタレント議員の歴史は続いている。
やわらちゃんも橋下さんも東もそのクチだ。
それが悪いとはいわない。
ちょっと前までは自民党内では党人派と官僚派に
分類されて対立構造がありましたが
一派ではないけれどタレント、メディア人というのも
政治家としてのラインとして存在してたわけで
大橋巨泉だって例外じゃなかった。

で、さ、最近はこの王道にタレント芸人文化人の他に
テレビキャスターとか
ジャーナリストが進出してきているわけです。
小池さんもそうだし橋本二郎などもそうでしたが
極めつけがジャーナリストという看板を全面的に
押し出したのが今回鹿児島県知事に当選した
三反園訓元テレ朝解説委員であり
そしてトドメが我等の鳥越俊太郎だったわけだ。

そして案の定というかこのブログで散々
やるぞやられるぞと言ってた通りにまんま
墓穴を掘ってくれました。
しかもその対応が乙武君以上に悪く
下手すると舛添さんを超える下衆の極みになるかも。
これはすなわちジャーナリスト神話の崩壊なので
国民の目を醒ますのには絶好調の機会となる。
同時に、テレビのメディアのジャーナリズムの時代の
終焉というか死を意味するのではないか。
引導を引き寄せたのが民進党野党連合なのか
鳥越さん自身なのか
渡したのが文春なのか被害者の旦那なのか知らない。

ロッキード事件と巨泉の死を重ねて
パンツをはかずに
ファッションステテコをはいてる馬太郎は
報道ファッショというものを思い
その終焉に密かにほくそ笑むのだった( ̄ー ̄)ニヤリ

行け行け鳥越俊太郎
ブーメラン型自爆最終兵器で旧時代の迷信を
木っ端みじんに粉砕しておくれ。
有田芳生も道連れに
たとえトカゲのしっぽ切りでも
軌道修正にはなるのではないかな。