あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛を紡ぐ人

タッキーとの茶飲み話で聞いた話
先日、高校時代の先輩が帰って来て
卒業以来の再会だったのだそうな。

その先輩は二浪して早稲田の法学部を卒業した。
その6年間を新聞配達で学費と生活費を賄い
親からの仕送りは一切なしで
卒業後にその時の奨学金を返済したそうです。
絵に描いたような立派な苦学生なのだ。

この話の導入とここまでのタッキーの感想と感慨は
世の中には偉い人たちがいる。
それに比べて俺たちは甘ったれでいい加減なものだと
自嘲ぎみ。

さて、この先輩は卒業後
都内の大手スーパーに就職しました。
ここで2歳年上の女性と社内恋愛して結婚。
ところが、奥様が癌におかされ
治療療養のため郷里の岩手に帰ることになった。
この先輩も会社を辞めて奥様と一緒に
鹿児島とは位置的に反対に位置する
岩手にいったのですが
仕事がない。
結局、単身東京で塾の講師を勤め
休みの日には月イチペースで妻の待つ岩手に帰る
そんな生活を続けて還暦を迎えたのでした。

そんな節目の
高校卒業以来実に42年ぶりの帰省だったわけだ。
因みに、奥様はまだ健在だそうです。
よかったよかった。愛の賜物ですかね。

この波瀾万丈のドラマを
愚痴ぽくもらすこてもなく、淡々と語る先輩を
タッキーは眩しく仰いだようです。
リアリストのタッキーが珍しく素直に感銘を受け
己を省みて
もっと謙虚に在らねばならない。
と語るわけだ。
タッキーに限らず薩摩人は現実的な種族です。
それが言動に直結する長短がある。
還暦間近のタッキーはそれを戒めようと。
(具体的にいうと、せっかちな性分)
とは、いうものの三歩歩くと
「( ̄▽ ̄;)あよォ・・早稲田の法学部まで出て・・・」
と、相変わらずの俗物的思いがこみ上げてきて
思わずクチを押さえるチャーミングなタッキーでした。

しかし不思議な話だなあと私は聞いていた。
こんなボンクラな私達より遥かに立派なこの先輩が
かくも過酷な人生を余儀なくされる理不尽。
神というものが与える試練の在処とは・・・

俗な外野からは、ツイテナイ人
もっと下世話なヤジだと結婚相手が失敗だったとか
インチキ占い師などはいい放つことでしょう。
(細木の婆なら絶対言って高額な墓と仏壇の購入を強要するね、絶対に)

私はそうは思わない。
この先輩は幸せな人だと思う。

残念なことに
薩摩地方には愛という言語がなく
その概念も実に曖昧です。
私もそれを認めるのにえらく時間を費やしたし
完璧に咀嚼し体現できてるかは自信かない。
しかし、それは存在し
それこそが、即、即ち、幸せなのだ。

愛される歓びを追い求めるのではなく
愛することにこそ幸せがある。
互いが愛し合う
そして愛は紡がれていく

いっかタッキーに愛について
話せたらいいなあと
思いました。