それでも権兵衛じゃあちょっと趣味が合わない。
贅沢で我が儘なアナタのために、無口で簡潔な男を用意しましたよ。
なんか世話好きなお見合いセッティングと仲人が趣味の叔母さんみたいですね。
ココでも一度紹介しましたが、日本の騎兵隊の父・秋山好古がその人。
最初に断っておきますが相当な大酒呑みですよ。だけど滅茶苦茶強いですから
酒乱なんて野暮なまねは絶対金輪際ありません。しかも肴は沢庵の尻尾で十分。
それと煙草があれば文句無し。ただし、マッチだけは用意してあげてくださいネ。
飯は喰いません。布団も要りません。
司馬遼太郎『坂の上の雲』の戦場ので好古の描写は傑出モノ。文章から映像が浮かび出る
とは、まさにこのこと! 高々とあげた水筒をあおる好古を銃弾が幾重にも通り抜けていく。
水筒の中身は安い中国酒。その戦場のまっただ中で彼は酔うほどに冷静になり、指揮を執る。
彼が軍人として己の在り方を「ただ簡潔に生きること」と誓ったのは
いったい、何歳の頃からなのでしょうか。
弟・真之が進路に迷ったときに彼は毅然とそう答えていましたから
20代で既に達観していたのか。
陸軍少将の現場指揮は旅団長です。
騎兵旅団秋山支隊を率いて、あるときは神出鬼没。
そして、あるときは日本陸軍の守りの要として、日露戦争ベスト3の旅団長が秋山好古だ!
好古の首に下げた拳銃は自決のためのもの。
彼の軍刀は実戦でも指揮刀という竹光。
現場指揮官には常に厳しい彼が、ミスを犯して切腹を決意する永沼秀文に言った言葉は
「永沼よ、軍人は、人間は、常に腹を切る覚悟を持っていなければいけない。しかし、
そこを堪え忍ぶ、その積み重ねが人間の修行と向上なのだ。永沼よ命を惜しめ。
そして、この茶を飲んで行け。それを飲んだら隊に戻って指揮をとるのだ。ええな」
この茶は好古自ら入れたお茶だ!永沼は泣くよね。
好古に生きる勇気を与えられたと生涯語り続けた。
永沼は後に日露戦争でロシア軍の後方大攪乱させる永沼挺身隊の名指揮官です。
好古は陸軍大将に登りつめますが、予備役編入後は故郷松山で中学校の校長として余生を終えます。
その、臨終のときの言葉は「奉天へ」
「日露戦争明治人物烈伝」の表紙の写真が退役寸前の好古。その手に握りしめられているのが
あの指揮刀です。これほど見事に寡黙に簡潔に生きた男。惚れ惚れする「いい男」ですよね。