あかんたれブルース

継続はチカラかな

みゆき嬢のスタンスに秘められる「日本人の恥の文化」

 みゆきは日本的な特徴を有するアーチストです。
 ユーミンは多摩の呉服屋の娘で「四畳半なんて大嫌い」と宣言して、
 貧乏臭い者に決別を宣言しましたが、みゆき嬢にはアメリカンナイズとか
 グローバルスタンダードとかドライブとかバカンスはありません。
 せいぜい避暑地の夏土産ぐらいでしょう。女衒なんて出ますから国文学ですね。

 そんな話ではなく、
 智の叶姉妹・みゆきを考察すると「恥」というものが滲み出てくるという話でした。
 これは日本人独特のものでベネディクトの「菊と刀」とかで指摘されているものです。

 多くの日本人が親・兄弟という身内とは別に
 外界と対峙し始める時期にその「恥」を意識するようです。
 ここに自己に対しての自信の揺らぎが生じてしまう場合も多いですよね。
 でなければ、世間体というものや横並びという隠遁の術で、その存在を隠すでしょう。
 それでも、健全であれば第三者に認められたいという欲求が生まれます。
 学業やスポーツなどがそれです。もう、身内の誉め言葉では満足できません。
 そして、もうひとつ、原始的ではありますが異性から認められる。
 という成果も効果抜群のようです。

 私たち同様に、みゆき嬢も「認められる」ことを望みました。
 彼女の価値観がオリジナリティー溢れるもので、その知性が輝くほどに、
 一般世間とは距離を広げる現象がおきますから、その渇望は強いでしょう。
 大多数の罵倒など屁でもない孤高の剣士・みゆき嬢ですが、
 (みゆき嬢は大多数の世間一般よりもこの世に一人の選ばれし者を求めました)
 その自分が認めた相手に認められなかったことの「恥」こそが傷心の在処です。
 
 みゆき嬢の愛が「自己愛」に満ちている所以がそこにあります。
 この場合、相手の男はその道具でしかなく、「おもちゃ」と発音する地域もでしょう。
 相手はこの作業の無意味に疲れたのであり、束の間の安息を礼子に求めました。
 これが、彼女の我が儘の正体で、彼女を捨てた男の言い分です。
 ある種、日本的な情念に近いのかもしれませんね。「恥」の文化は欧米にはありません。

 さて、もしそうだとすると、みゆき嬢の中には相手に対する
 「愛」など存在しなかったことになってしまいます。
 なんかものすごい暴論になってしまいました。
 団鬼六以上に分の悪い位置どりですが、この考え違いを是正できるものなら素直に従います。
 「愛」はまだ間口にまでも踏み出していないようです。
 実際は自分のことで手一杯というところでしょうか。

 因みに私がみゆき嬢に選ばれたターゲットだとしても、私は絶対にみゆきを選ばないと思います。
 若い頃なら、もしかすると、気になって付き合ってしまったかもしれもせんが、
 今なら裸足で即逃げます。まあ要らぬ心配ですね