私は悪夢というか、ある懸念を抱えていました。
過去形での切り出しは単なる「見栄」で、今現在も当然あります。
たとえれば、昨日フラれた七生嬢に、こう言われる瞬間です。
「それと、これとは、話が別よ」
昔からこの言葉への畏怖は強く、ということは、
私に「それとこれ」の次元とステージの区別がつかない知的弱点があったわけです。
『仁義なき戦い・完結編』で宍戸錠演じる大友勝利という実践思想家がこう唱えました。
「ウシの糞にも段々があるんで!」
そうです、物事には段階とステージなどがあります。
それをすべて総括して喝破できる理論は真理であり、人は死ぬ、形あるものは壊れる、
とか、新興宗教やキャッチセールスの殺し文句であり、
それさえも使う場所や相手や状況を誤ると前記の鉄槌を受けることもあるでしょう。
言葉や理論に万能はないわけですね。
ついさっきまで、日本人の大衆世論の在り方が両極端すぎることに稚拙を感じていました。
しかし、よくよく考えてみると、それは日本人の特性が「まじめ」であることに気づきます。
本来、日本人は生真面目な民族です。
それが故に藍濁を併せのむことを是としない。これも武士道の名残りかもしれません。
日本人は世界でも類をみない知的好奇心旺盛な民族であり、真面目な人種です。
幕末から明治維新を達成させた原動力に「尊皇」という思想があります。
これはかなり強烈な文化大革命で「明治維新」とは思想革命だったいえるでしょう。
また、幕末期は庶民の間で様々な大カルチャーブームを日本中に蔓延させた時期でもあります。
語学、地理学、天文学、剣術などなど。あの間宮林蔵などはその代表例ですね。
養子で商家に入ると一財産作って責任を果たして隠居する。待望の学問道楽人生到来!
これが幕末のトレンド的ライフスタイルでした。
朝日新聞の最近のCMはなかなかのデキです。
言葉は「翼」言葉は「未来」 言葉は「・・・」
途中でスナック「葵」のママに「打算」と言わせてしまったのは勇み足でしたが、
それでも結論として、言葉や理論に万能を求めてはいけません。
学問は自己武装するものではなく「楽しみ」や「道楽」であるべきでしょう。
また、インテリジェンスとは「学問」からだけ抽出されるものではありません。
でなければ、
大友勝利というテキ屋の親分が藤原正彦も仰天する真理を宣言できるわけがありません。
また、読書という行為はその意味で効果のあるものです。
学術書専門書だろうが漫画でも恋愛小説でもミステリでもなんでもOK!
このブログで幸せは不幸と幸運の乖離に存在すると書き込みましたが、
知性とは虚構と現実の乖離のなかで育ちます。そして、知性とは本質を見抜くことです。
それでも活字離れが騒がれ嘆かれる昨今。
私は今度文部科学省に提言したいと思います。読書を禁止しろと。
そうすれば隠れた道楽として読書人口は爆発的に増加するのではないかと。
道楽者で往きましょう。