あかんたれブルース

継続はチカラかな

障害者と健常者

 難しいテーマを選びます。
 私は子供を作るつもりはありませんでした。
 妻と共にディンクスとして生きるはずでしたが、本当は親になる自信がなかったのです。
 ところが、35歳を過ぎた辺りから何やらすべてのことに飽きてきてしまい、
 何か物足りなさを抱えてしまいます。
 2年後、息子が誕生しました。

 これまで、生きてきたなかで一番嬉しかった事と問われれば、
 「この日」と答えるでしょう。

 その瞬間に看護婦さんから言われた言葉
 「どこにも異常のない元気な男の子ですよ」
 あとで聞いた話では、こんなに喜んでいたパパさんもめずらしいとのことでした。

 さて、私は考えます。私の喜び在処を
 男か女なんてどっちでもよっかたのです。検査で分かっていましたから。
 要は「障害があるかどうか」に集約されていたわけです。
 この点は誕生の瞬間の次から喉に刺さった小骨のように現在まで引っかかっています。

 強面でハードな私に弱点があるとすれば「子供」です。
 ニュースで幼児虐待や子供を被害者とする犯罪には人一倍憤りを感じます。
 小児病棟とか障害児を扱った特集の前には世界最弱のヘナチョコリンでメソメソです。

 小学校低学年か、もしかするとそれ以前だったかもしれません。
 日曜日の九時から「東芝日曜劇場」という番組がありました。
 いまもありますが、連続ドラマ形式ではなく、当時は一話完結モノでした。
 そのなかの一作の話

 子供ができない若い夫婦が施設から幼児をもらい受ける選択をします。
 夫も妻も新しい家族の誕生に喜び、幸せの絶頂にありました。
 「あなた、この子もう目が見えるようよ、ほら、私を見て笑うの」
 しかし、この赤ちゃんには先天的な障害があることが判明する。
 生まれつき目が見えないのです。
 これより、この若い夫婦の葛藤が始まります。彼らの親たちも巻き込んで。
 施設はその事実から、この赤ちゃんを引き取る用意があることを告げてきます。
 しかし、既にこの子に情が移ってしまっている夫婦にとっては簡単に判断できことではない。

 けれども、この母親は施設に戻すことを選びます。
 「私はこの子が成長したときに、お母さん空は何色をしているの?と聞かれたとき
 空は青いのよと答える。けれども、この子が、青ってどんな色?と問い返してきたときに
 答えることができない」
 懸命に反対していた夫がこの言葉にうちひしがれてしまいます。

 施設からの迎えの朝、この赤ん坊が職員の手に渡されて階段を下りようとした時
 この母親が駆けだし叫びます。
 「待って!その子は、私の、私たちの子供です」

 幼い頃の記憶なので曖昧ですが、このドラマは私にとって相当なトラウマになったのでしょう。
 繰り返し繰り返し記憶をなぞるので、どこか違ってしまっているもかもしれません。
 ブログというものを立ち上げて、多くの仲間から考察のヒントを得ました。
 私の喉深くに突き刺ささった小骨は肥大して時折、息ができないこともあるようです。

 障害者について考えてみたいと思います。
 親愛なる友よ、付き合ってください。力を貸してください。