あかんたれブルース

継続はチカラかな

理不尽な天の法則と苛まれ矯正を求められる煩悩

イメージ 1

 よくわかりづらいですが、このモデルさんは左右の胸が均一ではないようです。
 結局、この写真ぐらいなら私でも手放しで賛美はできなったでしょう。
 問題の雑誌の複写はこれで仕舞いです。

 日本と英国の世論常識の格差もあるでしょうが、ここではふれません。
 差別の問題も話が拡大してしまうので棚上げです。

 障害者として生まれてきた者たちの理不尽ということで語ります。
 そんなことを考える時点で既に誤っていると指摘されるかもしれませんが
 私は当面、愚か者でも構わないので、これでいきます。

 お寺の(浄土真宗)幼稚園に通ったせいか、幼い頃から仏とか神とか天とかが身近でした。
 この世に何かしらの法則があるのではないかと学業以上に探求していました。
 占い師やギャンブラーを志したこともあります。失敗です。

 その段階でこんな結論を出してみました。恥を忍んで書き込んでみます。
 横尾忠則が何かの本で述べた言葉です。
 「輪廻から初めて人間になった者は(どうやっていいかわからず)我が儘である」
 これがヒントで輪廻転生(人間→人間だけじゃなく)を前提としてです。

 人間が求める悟りというものに到達するには
 段階的なステージを登り進めていかなければならない。
 出発点はミジンコや虫けらですが、やがて、人間のステージまで到達する、
 ここまでが中間地点です。
 ここで初めて人間を体験する者は戸惑い色々な失敗をする。というわけです。
 犯罪者や身を持ち崩す者、性悪女から極悪非道の拝金主義者などなどです。
 何度かそれを繰り返してまともな人間になれたとすると、今度はとてつもない
 試練に遭遇する人生を歩まなければならなくなる。これが最終目標地点の手前の
 ステージです。そこを無事こなせて悟りや達観が得られた者が天昇できる。
 出来なかった者は再度チャレンジを繰り返す。
 この最終ステージにあるとてつもない試練の上に、障害者やその家族が存在するのではないかと。

 私としてはこうでも解釈しない事にはこの世の理不尽が咀嚼できませんでした。
 この世に「愛」というものがあるとすれば、
 それは「無償」によって構成されているのではないかと考えます。
 それが一番顕著に現れるのが親から子への愛です。
 もし、自分の子供が障害をもって産まれてきた場合、親の葛藤の深さがそこにあると。
 自分自身であればそれはそれで納得や達観の手立てもあるでしょうが、
 自分ではなく、自分に一番近い、愛おしい、無垢で無力の我が子が
 障害を背負って生きていく、
 この時ばかりは自らの想像力を呪ったことでしょう。
 
 私は幸せは不幸とのギャップのなかに存在し生まれると書き込んできました。
 私の生涯最高の幸せは、我が子の誕生の瞬間の慶びです。
 それは、障害者の存在の上に成り立っています。
 私はそんなステージをこなして悟りなど開きたくないし、達観なんてしたくない。
 天昇しなくて結構。自分で捏造した話に噛みついてもしょうがないですね。
 これが煩悩というのなら、それで構わないということです。

 仏とか神とか天とかは実に理不尽な性格を有しています。
 この件は引き続き語ります。