女優オードリー・ヘップバーンは御存知ですよね。
同時代のエリザベス・テーラーなんかとは水と油のタイプ。
どっちが水でどっちが油かなんて説明不要。華麗な妖精、永遠の天使でした。
数ある作品のなかの彼女の共演男優は全員が彼女よりも20歳ほど年長か年下だったそうです。
これは制作者側に彼女と性的なイメージを切り離したっかという意図があったから。
だとか。言われてみればクーパーやボギー、ウイリアム・ホーリデン、クロスビー、ペック
みんな年長さんです。
娼婦の役どころ「ティファニーで朝食を」でさえも彼女に性的な匂いはしない。
それでも彼女の作品はすべてに愛が奏でられている。(「尼僧物語」は違ったか?)
プラトニックラブという装飾を施されたオードリー・ヘップバーン。
リアリティーのない作品には感動できない馬太郎がなぜ彼女の作品に魅了されるのか?
もしかして、愛=セックス自体の考えが成立しないことなのでしょうか?
キスまでならOKで、ペッテイングまでは許されない?
なんか学研「中一コース」の性教育みたいになってきました。
思春期の頃は男女含めてその好奇心は旺盛です。
どちらかというと女性のほうが早熟だったりします。ああ、これは知性の話ね。
男性の場合は即、性欲に直結するのでさほどのこともありませんが(?)
女性の場合はそこでのメンタリティーが強いので厄介な場合もあるようです。
(最近はそうでもないのでしょうか?)
既婚者の男性で結婚当初、妻がわけもなく泣く経験をされた方はいませんか?
もし、愛とセックスがイコール(=)でなく、その延長戦上の枝葉ひとつでしかなく、
その枝葉には接ぎ木がなされて色々な樹木につながっていたとすると
大問題になるかもしれませんし、大した問題でもないかもしれません。
もともとがセックスに関してのストイックな考え方は
(太平洋戦争)戦中戦後からのものだったような。何かに書いてたような?
農村部では「夜這い」というものが存在しましたし、祭りという儀式の中にその行為を
容認するものもあります。(フリーセックスの無礼講)
男女差別にひとつと指摘するひともいるでしょうが、
相手があってのことなのでなにも強姦するとかの話ではありません。
以前週刊ヤングマガジンに連載されていた「バレーボールボーイズ」みたいに
お気楽だったら天下泰平なのでしょうが、なかなかそうもいかないようです。
かといって「不倫は文化だ」とバカタレントが宣言すると因縁をつけたくなるし。
男女差別よりも倫理よりも、なによりも、
先日NHKのその時歴史は動いたの「荻野式」の放送がガツンときました。
セックス=出産
産めよ増やせよ。産んだ子は富国強兵の先兵として、母親はたまったもんじゃない。
結論、これだけれまとめていいのだろうか?
セックス=愛ではない。
いいや、言い切ってしまお。