あかんたれブルース

継続はチカラかな

阿修羅とルシファーの化身

まどマギ』劇場版前後編『叛逆の物語』を

2回づつ鑑賞したのに

この壮大で緻密なストーリーを

イマイチ理解できてないものです(^◇^;)。


このまどマギの世界、魔法少女たちは

(ある意味暁美ほむらが中心にかな)

転生輪廻と並行世界のなかで語られている。

YouTubeの動画解説によれば

この作品の世界観には

キリスト教ユダヤ教ゾロアスター教の影響があると。


転生輪廻はインド哲学バラモン教、仏教に

影響を与えました。

人間は生まれ変わり現世の行い、業により

来世のステージが異なるのだと。

つまり、その因果において、人間→人間

とはならない。人間から

→畜生 →虫ケラ →プランクトン もあり

こういった輪廻観をそのまま

手塚治虫の『火の鳥』では解説してました。

対して

まどマギでは同人間の無限ループのようです。

現在からの無限ねずみ講ですね。

暁美ほむらはその世界線のなかで

繰り返し繰り返し鹿目まどかを救おうとする。

これって輪廻転生というより

ニーチェの「永劫回帰」ですね。


Magica Quartet

新房昭之虚淵玄蒼樹うめ、シャフト)

による

まどマギのコンセプト世界観には

ゾロアスター教ユダヤ教キリスト教にプラス

ニーチェが深く関わっている。


古代宗教ゾロアスター教は二元論です。

善と悪、光と闇、神と悪魔。。。

まどマギの高揚は

愛するまどかを救うためにほむらが悪魔となり

神となったまどかと対決する

なのかな?という展開ですよね。萌えるわ

で、ここでほむらのまどかに対する愛に

執着と独占がある点から

それが、どんな純愛であっても

「煩悩」とされてしまうんですよね。

ここんところが

主人公で、神になった鹿目まどか

まったく感情移入できないぶん

こんな馬鹿娘のために悪魔に貶められても

健気に一途にその愛で救おうとする

暁美ほむらにきゅんきゅんしてしまうのです。

 


まあ最新作『ワルプルギスの廻天』での展開

から暁美ほむらの安否を祈り願うだけですが

その希望のヒントに

ニーチェの「神は死んだ!」が

一筋の糸口になりそうです。