明治いい男いい女列伝(9ぐらいかな)
職業に貴賎はない。と申します。
川上音二郎や貞奴が演劇を引っさげて欧米大巡業して喝采を浴びた頃の明治の日本では、
芝居役者風情は河原者として、賎しい職業と位置付けられておりました。
いまでこそ歌舞伎役者は社会的な地位も与えられておりますが、
その頃は新宿コマ劇場あたりのホストと変わりはございません。
売れっ子芸者衆は贔屓の役者に入れあげました。芸者だけでなく、
たとえば小村寿太郎夫人など上流社会のご婦人方も例外ではありません。
そんな役者の中でも「不出世」と謂われた名役者に十五代目市村羽左衛門がおります。
その美貌は歌舞伎役者のなかで比肩する者はないのではないか。
日本のオペラ界では藤原義江がそれにあたるのでしょうか。
二人の共通点は混血児、今風にいえばハーフです。
明治維新より外国人との交流も増えていきますと混血児も生まれます。
けれども当時の風潮でそれは差別の対象でもあり、
多くの私生児が芸能の世界でしか生きる場所を得られなかったようです。
羽左衛門の父は明治政府に雇われた外交官ル・ジャンドル将軍。
フランス系のアメリカ人で松平春嶽の娘・絲(いと)との間に生まれます。
因みに、妹(異母)は愛子はソプラノ歌手関屋梅子の母。
十五代目市村羽左衛門が家橘(かきつ)と名乗っていた頃、
洗い髪のお妻という芸者に惚れて自殺未遂。
当時、お妻の相手が頭山満だったことから添い遂げられない事をはかなんでの凶行だったとか。
この事件を契機に頭山はお妻との関係を清算いたします。
羽左衛門はその後、新橋で一世を風靡した名妓お鯉と所帯を持ちますが、
日露の頃、お鯉は山県有朋の計らいで桂太郎首相の囲い者になってしまう。
ポーツマス条約締結の中身に憤慨した民衆が日比谷焼き討ち事件で、
お鯉の家を襲撃されるのは有名な話。
なんか少し話しただけであちらこちらに話が拡散してしまいますね。
私もブルガリア人のクォーターですから羽左衛門の件は他人事ではありません。嘘
明治~♪ブルガリア~♪ヨーグルト?