以前、恐妻家のススメを夫婦円満の鍵と提案しました。
その裏付け記事として、ネタは米国映画(西部劇)から御託を発します。
日本の男尊女卑に比べて、米国は女尊男卑。
移民の国、西部開拓のプロセスで需要と供給のバランスが崩れた結果です。
アメリカのフロンティアスピリッツに終止符が打たれたのは1890年。
日清戦争は1894年ですよ。明治27年。
捨松たちが米国留学したとき(明治4年)は、まだインディアンと騎兵隊が戦っていたわけです。
明治7年に建国100年の使節団として参加した野津道貫(加山雄三の曾祖父さん)は
抜け出してロビンソン砦でインディアンとの最終決戦を観戦している。
アメリカ人の女性観に対する時代背景としてみてください。
その女性像に「指図する女」というものがあります。
「大草原の小さな家」のお母さん。
もっと分かりやすく言えば、
宮崎駿の『天空の城 ラピュタ』での親方の奥さん(フライパン持ってた女性)。
だからあの作品はヨーロッパじゃなくて夫婦関係は「怒りの葡萄」なんです。
「ママのチェリーパイは最高だ。なあテッド」(なんじゃそれ?
なぜ、「指図する女」なのかというと、
その前進に米国男性の理想の女性像に「グッド・バッド・ガール」という偶像がありました。
それ以前の1920年代末期までは「ヴァンプ」(悪女)があった。
「グッド・バッド・ガール」とは何か?
「みかけは悪いがシンはいい女」見かけって容姿じゃないですよ。蓮っ葉だけど身持ちはいい。
「妖婦の魅力的な性質とやさしい女の誠実とがひとつの箱詰めになっている」
元ヤンキーだけど家庭に入れば意外と良妻賢母だっりとか? 願望ですかね。
私にいわせれば「パンドラの箱」だな(涙)
で、彼女はもうひとつの特性として、男の成功を手助けをする。と描かれます。
映画の話ですよ。
これが指図する女につながるわけです。
(悪女)→(似非悪女)→(指図する女) が、理想の女性像の軌跡
結婚後、父親となると男は途端に無能になります。
息子と同レベルで指図され、次第にその愛情は息子に奪われていき、
時代遅れになってしまって息子からも軽蔑させれいく。
ま、これが幸せなんですね。
どういうわけか米国の理想的な女性像、ファミリースタイルが
日本にも浸透しているようです。
「もだめ」も、、、そうえいば、、、。
これもGHQの陰謀かしらん?
西部劇の最高傑作『駅馬車』からはダラス(リンダ・ダーネル)を
メロドラマ・ウエスタン『死の谷』ならはコロラド(バージニア・メイヨ)にトドメ刺す。
これがグッド・バッド・ガールの典型。
あなたはグッド・バッド・ガール?それとも、、、。