昨年、いじめ問題から学校長が自殺して問題になりました。
命の大切さを訴える教育者が死で解決させようとする。波紋を呼びましたね。
当ブログで問題にしました。なんたるこっちゃ!
命は大切です。
なのですが、
ホントにそうなのかなあ。と考えてしまうことだってある。
いや、そりゃ、そうなんです。
大切なんだけど、それは分かるのだけど、、、。ちょっと付き合ってください。
つい最近、米国でまた、銃乱射事件がありましたよね。
犯人が自殺して終わり。
死ねばすべて終わりにできるの?
全米ライフル協会、フロンティア・スピリット、以前の問題です。
私は鬱病ではありませんが、時々死にたい気持ちになることがある。
「俺なんてさ、世の中のためになんもなってない」ってね。
死んだら、臓器提供とかしよう。でも使える部品あるだろか?
とにかく、毎日ワンクイック募金に励んでますよ。
そんな考えはよくない。
命を軽んじてはいけません。 と誰かの声。空耳?
御説、御もっとも。
ちょっと、話を変えましょう。
地球環境が危機的な状態にあります。
最近、それを訴える番組も多いですよね。警告を鳴らすって感じです。
その中で、最近売れっ子のコメティーターが動植物、昆虫・虫けらの存在意義を唱えます。
「植物や昆虫が明日からいなくなる地球は困るが、
人間がいなくなっても地球は、ちっとも困らない」
むしろ、地球は大歓迎ってことみたいです。彼は自慢げでした。
まあ、そりゃそうなんだろうけれど、だったら、みんな死ぬか。
それと、これとは話の次元が違う。ことは、解る!
でもさ、惰性の日常のなかで、忙しさにかまけ、喰って寝て
ゴミだして糞して垂れ流し っていうのもあるじゃない。
たとえば、前記した「死にたくなる」気持ちって普通にあるんじゃないだろうか。
それを言うと、みんな引くよね。
それは、間違っている。判で押したようにそう諭してくるでしょう。(私もそうだもん)
いや、誰も死ぬなんていってない。そんな気持ちに普通ならないかなあ。と。
人間の命は地球より重い。と言った宰相がいました。
言葉には偽りがある。美しい響きには危険が隠されている。
常識や一般論で言葉を軽く使いわけする惰性に危惧します。
そういう言葉には言葉で対抗しないとね。
「坂の上の雲」の主人公のひとり、秋山好古が死に急ぐ、死で決しようする
部下・永沼秀文におくる魂のメッセージ。(これで3回目かな)
「永沼よ、軍人は、人間は、常に腹を切る覚悟をもっていなければならない。
しかし、そこを堪え忍ぶ、その積み重ねが人間の修養と向上なのだ。
永沼よ、命を惜しめ。ええな」