あかんたれブルース

継続はチカラかな

ふたりで育む幸せ

愛の十字路(29)

 昨日の投書からの続き。


>だから 私は 「浮気」という概念自体が 納得できません。
>もし、商売として性を売るひとたちとの行為を「浮気」と 皆さんが呼んでいるなら
>ただの生理的欲求の処理であれば、気も情も 元より無いでしょうし

  人間は貪欲なので、生理的欲求の処理だけでは満足しません。
  そこに付加価値を追加させようとします。
  以前、従軍慰安婦の話をしました。
  利用する側の兵士は安い朝鮮人慰安婦がビジネスライクで愛想がないと言って、
  もっと下のランクの病気が危険で禁止されいた中国人慰安婦のもとに通ったそうです。
  病気の危険?どうせ死ぬから関係なかったのかもしれませんね。
  それより、やすらぎをもとめました。悲しい欲求です。

  それと、自分の意志で、抱かなかった、抱けなかった兵士も存在したことを
  追加しておきます。


>妻なり、恋人なり 既に契約を交わした相手がいながら
>他の誰かに 情が湧くのは「浮気」どころじゃありません。
>新しい愛の誕生です。

  浮気の定義とは別に、愛がそう簡単に誕生するでしょうか?
  好き=即、愛。じゃ、あとあと混乱しませんかねえ?
  愛は育むものだと思います。
  どれくらいの期間と思いが必要なのかは個人差もあるのでなんともいえませんが、
  そもそも、愛が簡単に生まれることに私は危惧を憶えます。

  だから、口説くときや性交の道具に成り下がった
  「愛してる」って言葉に嫌悪していました。
  存在さえ認めてなかったもんね。
  九州の田舎者なので言葉に対して敏感というかナーバスです。
  一生口になんかするもんか。って決心していたくらい(爆)。実際しためせん(怒)。

  そういうと。「可哀想な人」ってお決まりくる。ケッ。
  そんなの単なる言葉遊びじゃないか。
  いったい、その愛っていうのは何処にあるの?自己申告じゃダメだぞ。
  
  人間が社会が動くときには、あるエネルギーが必要です。
  それは「思い込み」です。
  これは諸刃の剣で非常に危険なものです。
  いや、物事すべてには表裏一体の善悪や長短が必ずあるものです。
  この「思い込み」だってすべて悪いわけではない。
  愛も「思い込み」の産物だと思います。
  キリスト教が危険視したのは唯一一神教として「愛」を独占したかっただけでなく、
  国家と存続として、この愛が運営に邪魔だったのではないか。教会がかな。
  日本だって、国家体制を強化しようとする時にはこの愛を弾圧します。
  仏教も煩悩というなかにあてはめて、苛まれ正しい判断の障害になるとしています。

  そういう意味で、愛は罪深いのでしょう。

  それでも、私たちは愛を渇望します。

  それほど、甘美で素晴らしいものだと知っているからなんでしょうね。

  結論からいえば、愛を過程に位置付けるのではなく目標にしてみるのはどうでしょう。

  そうすれば、失ったり、壊れたり、目減りすることはありません。

  お互いの力が足りなかったと。

  それでも求めるならば、どこかに思いこめる、のめり込める相手があれば、
  再チャレンジ!