あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛も過ぎれば依存症

愛の十字路「番外-2」 (30)の補足


 一昨日の記事(30)で
 「欲に情あり。情に節あり。」という有り難い詔を提示しましたら、

 なんと音夢嬢は「竹の子」かいなと解釈し、
 だったら馬太郎は「浪花節」だと喝破されてしまいました(涙)。
 当たっているから、、、。口惜しい。

 少し補足とさせてください。

 中国人とか東洋思想とか、私達日本人は物事に無理をさせません。
 自然じゃないとオカシイという出来たオヤジのような考え方をします。

 といいますのも、古代から中国は黄河の氾濫に悩まされていまして、
 この治水工事に苦心惨憺していました。失敗の連続。何百年。そして、やっと成功!
 そこで、学んだのは、この大河に逆らっちゃダメってことです。
 川の流れに沿った堤防じゃないといけない。自然に逆らっちゃダメ!って体で覚えた。

 だからすべてにおいて無理をしない発想なんです。

 日本も自然崇拝ですからこれと同じ。また中国の思想・文化に色濃く影響されている。

 日本人が造る堤防はなだらかで自然の力を弱めようと考えている。
 西洋の場合は過去に50メートルの津波があれば55メートルの堤防を造る。
 これが自然に対しての挑戦的な姿勢です。60メートルだとアウトだぞ(汗)。
 大惨事。次は65メートルでやるんです。
 こういう考え方医学でも顕著ですね。抗生物質しかり。イタチゴッコです。
 だから人間の欲望さえも征服、抑えようと考えるようです。

 東洋は「欲と道連れ」で上手に付き合っていく考え。
 生まれた時から「煩悩」という不治の病におかされているようなものです。
 なんか、よく出来たオヤジって感じでしょ(笑)。

 心と体。

 愛(心)と性の不一致で悩んでいる人は多い。男も女も同様に。

 原因は愛を恐れているからじゃないでしょうかね。
 人間は分からないものを恐れる性質があるものです。
 過大評価したり、過小評価している。どちらも違うんでしょうねえ。。。

 ある者は愛を開放するために性と切り離そうと試みる。
 ある者は愛を獲得するために性と結びつけようと努める。

 そして傷ついている。
 そんなに無理をすることはないんです。(無理なんかじゃないわ!)誰?

 みゆき嬢の歌にはこうありましたね(涙)。
 「抱きしめれば2人は なお遠くなるみたい
  許し合えば2人は なおわからなくなるみたいだ」まったくの通りだ。合唱(合掌だろ)


 人生、欲と道連れ。楽しくないと身が持ちません。切なさだって素敵なんだ。
 
 その欲は最初に、快楽が伴います。でも、それじゃあ直ぐに飽きてしまう。
 平均すれば2〜3年だな。
 しかし、そこに情が生まる。これが大切。人間は肉体だけでは満足しない。

 でなければ、ひと昔まえの男衆が吉原の花魁に大枚を叩いて遊んだりはしない。
 そこに粋と文化を求める。これも欲の発展系なんでしょう。

 浮気を単に性的な発散と、ひとまとめにするのは乱暴なのかもしれません。
 そうしないと、間尺に合わないジレンマがあるのかも。

 欲をマイナスに考えない。これが東洋の考え方です。


 ただし、だからと言って、なんでもかんでも無軌道無節制にやっていいってもんじゃない。
 度を超すと破滅につながる。夫婦関係の話じゃありませんよ。
 自分自身(体や心)が、壊れる。そして、愛が壊れてしまう。

 ここで、古の東洋哲学では「節」を説きました。

 三大道楽「飲む・打つ・買う」を
 アルコール依存症ギャンブル依存症恋愛依存症と考えてみてください。

 病気なんです。だけど、恋愛に関しては変な大義名分があってそれを認めない。
 なんか崇高で特別ものと考える。それはそうだと思いますよ。
 かといって、愛のなんたるかは誰も知らない。
 ここに愛の罪深さが生まれる。西洋の原罪とは別に。

 結局、過ぎれば愛も依存症。自分しか考えないと相手を傷つけ、その愛も破綻をきたす。

 
 なのかな?

    一応、極論の話としてくださいよ。
    そんなに器用にできないなんて考えはペケです。この場合は。念のために。

 朝っぱらから失礼しました。さて、仕事しよ(汗)。
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