あかんたれブルース

継続はチカラかな

「知のマッチポンプ」西の小結・オスカー・ワイルド

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愛の十字路 第二章(11)



 老人はすべてを信じ、中年はすべてを疑い、若者はすべてを知っている。


 なんと含蓄の深い言葉。では若者とは?


 完全なる状態とは怠惰である。完全の極地は若さである。


 なんと! 怠惰を「完全なる状態」と位置付けるのか。
 そして、その極地を「若さ」とする。

 私が言ったんじゃないよ。口を滑らせているのはオスカー・ワイルド

 19世紀後半のイギリスの劇作家(詩人であり作家でもある)。

 裕福な家庭に生まれ、両親一族は芸術家という恵まれた環境に育ち、
 わずか25歳で文壇デビュー。
 30歳を前にその人気は絶頂を究めます。

 だけど、私はこの人が大嫌い(笑)。
 先日も神楽坂の焼鳥屋で木っ端微塵に粉砕してきたところです。ははは

 彼のシニカルな伝言にはテレがあり、臆病な知性には無責任がある。
 古今東西の名言格言には必ず右と言えば左、その逆が必ず存在するものです。

 「オスカー・ワイルドなんてマッチポンプじゃないか!
            おじさん! ホッピーね。煮込みも頂戴。」

 彼の言葉にはその右左がひとつに網羅されている。
 その予防線が結局、相手を煙に巻く。ニヒヒと笑える都々逸とそう変わりません。


 すべての些細な問題において必須なのは、誠実さではなく、スタイルである。
 すべての重要な問題において必須なのは、誠実さではなく、スタイルである。

 一番分かりやすいのがこれですね。結局何も分からない。
 これを真理なんて早合点しちゃだめですよ。
 これじゃあ「笑点」も大喜利ネタじゃないか!

 それでいいんだよ。と宣う包容力のある方々もいますが、私はそうは思わない。
 そんなスナックネタで喜々とするなら聖書を持ってキャバクラへ行け! どうぞ。


 彼は、その人気絶頂の時に、同性愛の罪で逮捕、服役。その後、破産。
 過酷な刑務所生活で創作意欲を喪失してしまいう。
 晩年をセバスチャン・メルモスという変名で過ごし貧困のうちにパリで死去しました。
 20世紀幕開け直前の1900年11月30日のことです。46歳でした。

 彼の母親は自分の息子を女装させて女の子ように育てたようです。
 オスカー自身も成長して女装癖があったとも伝えられている。
 彼の知的探求は常に性同一障害なのかその深層意識に混在と矛盾をもたらしていた。
 そこまでは予想と予測の域をでませんが、
 彼が宣う小粋な人生観を
 「どこのサロンでどこのバーでどの著書で吹かして綴って自分自身さえも煙にまいのさ」
 というのが先週月曜日の神楽坂の焼鳥屋でのアジ刺身でした。旨かった!

 ところがさ、私の宿敵は細木数子(爆)。ほかにもいますが当面の敵です(笑)。
 実は、彼女と私。本当はとっても意見が合う(汗)。
 しょうがないよね。その根源に安岡正篤という共通のお師匠さんがいるんだもの。
 彼女は酒と浣腸の手練手管で痴呆症全開の碩学の師を籠絡しましたが、
 その手段は別としても流石は数子、敵ながらアッパレと苦々しく地団駄団子。

 そんなことを考えていたら、オスカー・ワイルドのことを思い出しました。
 彼の言葉を額面通りに受け取って迷子になるのは困りものですが、
 言葉というものが道具であり、何かのヒントになりえるのならば、
 西の小結・オスカー・ワイルドも悪くはないなあ。と


 この第二章では「男と女の友情」の決着をとしましたが、
 諸事情勃発で時期尚早となりました。
 で、「セックスボランティア」の話をと計画してたのですが、
 裏付けのために入手した本がまだ届きません(涙)。
 まあ、そんなに急ぐこともないので「常に成り行き」という姿勢を貫きます。



写真は若きオスカー。
女装も栄えたでしょうね。私のも悪くないですよ。それはまた今度(笑)。