愛の十字路 第二章(16)オスカー・ワイルド(6)
○人がありのままの姿で語る時、その本音とは遥か遠いところにいる。
仮面を与えよ、人は真実を語るだろう。
この言葉をそのまま「ブログ」にあてはめることができます。
19世紀に生きたオスカー・ワイルドに「ブログ」が想像できたか?
彼のフリーパス・ワードが今試されているのかもしれない。
仮面は与えられました。人は真実を語るだろうか?
私は、以前
真実とは言わないまでも「ブログ」は人を「素直」にさせるものだ。
と書いたことがあります。
ブログは道具です。
それはブログの特性なのだと思いました。
ブログを楽しむ。
その楽しみ方に、まったく違う自分を生み出すことがある。
しかし、出発点はそれでも、すべては時間の経過によって
本来の自分に辿り着いてしまう法則・性(さが)があるようです。
○永続するのは表面的な質のみである。
人の深い本質はすぐに暴かれる。
暴かれる前に、まず本人自身がそれに気づくことでしょう。
本来の主旨とかけ離れてしまうことに苛立ちを感じるのかもしれない。
見透かされないようにと言葉をいくら重ねても無駄です。
文字や文章は饒舌に素直で正直な自分を浮き彫りにしてしまう。
ブログを楽しむ。
その楽しみ方に、自分を変身させるゲームがあったとしても、
持続することはできません。自分を偽ることに負担を感じてしまうから。
人は本来、誠実で健全な生きものです。
ブログは人を「素直」にさせる。
これがブログの最大の特徴なのかもしれない。
たとえを、名を隠しても顔を隠しても本質は変えられない。
仮面は与えられました。人は真実を語るだろうか?
人は真実を語りません。
人が語る真実には意味はない。
懺悔も告発もその意図で色を変える。
人が語る真実、それは愛の告白
悪女になるなら 月夜はおよしよ 素直になりすぎる
隠しておいた 言葉が ほろり こぼれてしまう
「・・・」
やっぱり最後でテレちゃいましたね(汗)。
本日のビジュアルは風のおかあさんの撮ったシャガ。
http://blogs.yahoo.co.jp/hhsikro
そこには、愛の風を感じるたくさんの写真が託されていました。