あかんたれブルース

継続はチカラかな

セックスとセクシャリティ

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愛の十字路 第二章(19)オスカー・ワイルド(9)
セックスボランティア-3

 ○貧乏人を慰める唯一の物は贅沢だ。裕福者を慰める唯一のものは節約だ。


 この本の後半はオランダ取材へと舞台を移します。
 北欧やオランダ、スイスが性に対して寛容なことは知っていました。
 だけでなく、薬物などに対しても。

 オランダ人はヒューマンな国民性を有するそうです。
 キリスト教カルバン派が主流で、慈悲深い宗派であること。
 労働党内閣が続いたことで社会保険制度が完備されていること、など
 けれども、それはそれまでの保守的な社会の反動でもあるような。私見ですが

 「SAR」という有料セックスボランティアの取材。
 この団体は男女同権、フリーセックス、堕胎や売春の権利訴える活動を
 行ってきたそうです。そこからセックスボランティア活動も派生したと。

 オランダでは国から補助金が出ます。審査は厳しいようですが
 そのお金を受け取ってセックスボランティアを受ける障害者。
 別に「SAR」でなく普通の娼婦を家に呼んでもかまわない。自由です。

 ここまで社会保険制度がすすむとちょっと考えてしまいます。

 私が最初にイメージしたのは手の自由が利かないとか
 重度の障害者だったのですが、いけないいけない障害者の話じゃないんだ。
 
 むかし知人がヨーロッパ取材で老人ホーム取材したことを思い出しました。
 その施設で、老婆がネグリジェで若い介護士に抱擁されている写真。
 ここではキスは自由です。老女の満面の笑顔。セックスもOKとか。
 これが開かれた介護ってやつか。。。
 でも、高いんだろうなあ。。。介護士は若くてマッチョだぞぉ。
 ははあ、コムスンがやりたかったのはこれか(汗)。

 以前、このブログで「愛はお金で買えるか?」という青い論争を展開しました。

 答えは、買えない。 

 この答えはいまでも揺らぎません。
 たとえ、愛がお金のせいで壊れても、愛はお金では買えない。
 決着はついたのです。

 しかし、幸福感は確実に買えるなあ。これじゃあ
 愛が幸福であれば、屁理屈を唱えれば買えそうな展開です。許しませんが(笑)

 このことで、著者も揺れます。河合香織、素敵な女性だ。(こら

 でもね、障害者は決して満足はしていない。
 なぜか?
 彼らが本当に求めているものは、温もりでした。
 温もりは決してお金では買えない。これがこのオランダ取材の収穫です。

 しかし、その収穫とは名ばかりで、障害者の幸せは置き去りなのかしれません。
 
 けれども、人間が求めるものは健常者であろうが障害者であろうと、同じ。
 
 温もりが欲しい。愛が欲しいのです。

 セックスボランティアの関係の破綻も一線を越えることから、、、。
 それは愛を求めてしまうから。なんと残酷なことでしょう。
 性と愛を結びつけることが罪であるとは。
 それはあくまでも無機質で情が絡むことを拒絶します。
 物質であると把握する必要がある。

 いや、それほど難しく考える必要はないのかもしれない。

 どの道、愛なんてそんなに簡単に入手できるものではないのだから。
 健常者であろうが障害者であろうが。

 一度手に入れたと思ってもその儚さに傷つかないだけでも幸せなのか。

 傷つくことを恐れ、人はうたかたの恋を楽しむすべを知っているのか。

 手に入れられないものだからこそ、熱望するのか。

 その贅沢とは何か その節約とは何か


 本のラスト近くで著者は自分と読者の気を取り直させようとしています。

   「性は生きる根本だ」といっていた言葉の「性」には、
   セックスや性行為だけではなくて、もっと広い人と人との親密性や愛情としての
   「性」という意味があるのだろうか。
  
 
   「セックスは両脚の間(下半身)にあるものだが、
    セクシャリティは両耳の間(大脳)にあるものだ」

                    (米国の性教育者キャデロンらの主張より)