あかんたれブルース

継続はチカラかな

そこまでやらなくても(汗)

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愛の十字路 第二章(18)オスカー・ワイルド(8)
セックスボランティア-2

   ○時々思うのだが、神は人を創るにあたって、
    いくぶん自分の能力を過大評価しすぎたのでは。


序章  画面の向こう側
第1章 命がけでセックスしている【酸素ボンベを外すとき】
第2章 十五分だけの恋人【「性の介助者」募集】
第3章 障害者専門風俗店【聴力を失った女子大生の選択】
第4章 王子様はホスト【女性障害者の性】
第5章 寝ているのは誰か【知的障害者をとりまく環境】
第6章 鳴り止まない電話【オランダ「SAR」の取り組み】
第7章 満たされぬ思い【市役所のセックス助成】
第8章 パートナーの夢【その先にあるもの】
終章 偏見と美談の間で


 これが、その本のコンテンツです。
 案の定、序章が重くて、続く第一章のそんな爺の情念なんてどうでもいいよと、
 章立てを飛ばして第2章から読みました。

 というのもこの本には少しだけ予備知識があって、
 私の関心はボランティア「する」側の女性の「気持ち」にありました。
 そこがネットでの論争の焦点だったようにも記憶します。

 ボランティア自体はよろしいことだろうけど、そこまでするのか?
 商売として割り切るなら理解できるが、、、。

 第2章のケーススタディーに登場する中年の主婦は
 ネットの掲示板でその必要性を感じたそうです。
 口はダメ。しかし、挿入だったらいい?
 (その逆の各自のルールがあるようです。その規定もよく理解できない)
 ボランティアには自宅マンションのゲストルームを使用。(障害者をよんだわけです)
 なに?二人の子持ちで夫さんもつれて施設に面会(夫は事実を知らない)。

 釈然としない。

 私はこのブログで「無私」という姿勢が非常に重要だと書きました。
 しかし、この女性の姿勢というか行動が納得できない。
 心と体の独立性と異質を達観してるというのだろうか? 違うなあ。

 それとも、資質としての正義感とか慈悲が過酷な現実を知ったことで義務感に変わった?
 それは彼女の理不尽に対しての挑戦というか深層心理のなかの一番もろい部分だった?
 そこから目をそらすことが出来ずに、自己矛盾を解決するための行動?
 真面目な人柄のようだが、
 その特有である「いい人」に「なりたい」「ありたい」症候群なのか?
 でも、咀嚼しきれない姿勢や行動は精神を苛なんでしまうのでは?

 この本に対しての予備知識に対しての私の思いがこれでした。

 ところが、読みすすむうちに彼女が既に精神を病んでいることが判明。
 もともとその気があって自殺未遂の経験があり、その際に障害を負ったそうです。
 幸いにも体のほうは大事には至らず、障害は快復したようですが、
 心の病は解決していないようです。

 わずか一章分を読んだだけで、私は置き去りにされてしまった。
 なんじゃこりゃ。

 腹立たしいやらなにやらで、そのまま読みすすめたのですが、
 意外にも一番興味のなかったオランダの実情(取材)が大きなヒントになります。

 つづく