あかんたれブルース

継続はチカラかな

処世よりセンス 孤独から孤高へ

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愛の十字路 第二章(21)オスカー・ワイルド(11)


   ○育ちの良いものは他人と衝突する。
    賢者は自身と衝突する。

 
 これだったら、オスカーの言い分も納得できそうです。

 一行目には自信と自分の正義を嗅ぎとってしまう。
 それとも我が儘?
 「自我」とか「我」とも受け取ることができるでしょうか。
 
 先日アップしたお嬢様のイメージかもしれませんが、それはあくまでもイメージ。
 仮子さんのようなエレガントや毒島麗子さんのオットリには
 他人と衝突する気質は皆無のようでした。

 育ちの良さって何?
 少なくとも経済的なものではない。ことは確かなようです。
 ノビノビ育った『ドラえもん』の野比のび太かなあ。
 じゃあ衝突する他人とはジャイアンとかスネ夫
 デキスギ君は衝突しない。
 ○常に敵を許せよ— それほど彼らを苛立たせるものはない。
 なのか? まさかね。

 一行目はあんまり大したことはありません。
 山県有朋の話でもやるか。でも単なるケーススタディーのひとつにしかならないしなあ。

 二行目。「賢者は自身と衝突する」

 幸せとは自分を愛すこと。だけど、それが、簡単にいかない。

 自分を見つめれば見つめるほど孤独になるそうです。
 公平であろうとすればするほど点も辛くなるのでしょう。
 欠点ばかりを見つめてしまう。重心がやや自虐に傾いていき、自分を嫌いになってしまう。
 自虐を免罪符にして利用してる人は嫌いですが、
 孤独から孤高を目指す過程で迷子になっている人は好きです。
 そこに衝突があって、知性とプライドを感じる。
 楽天主義とは別の切なさを感じる。

 ボランティアというものに懐疑的な人は多いです。
 私もその一人かもね。
 それでも、阪神大震災のときや中越地震など多くのボランティアの活躍に感動しました。
 とは別に、
 障害者プロレスから障害者とボランティアを描いた『無敵のハンディキャップ』では、
 現場の声として、
 自己満足にしたる形式的なボランティアの存在割合の多さも指摘していました。
 この記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/9233147.html
 難しいものです。

 『セックスボランティア』のなかで、二人の風俗店経営者が登場します。
 料金を半額にして店の取り分はゼロ。
 それでも、
 「いやあ、いままでの罪滅ぼし、人生の帳尻あわせですよ」と笑う。

 結局、自己満足云々には、なにも問題はないんでしょうね。
 センスの問題だ。
 器用とか不器用も関係ない。その人のセンス。知性ですかね。
 想像力とか。

 「頑張れって言わないで。これ以上どう頑張れっていうの」

 に対して、「頑張れ」という言葉狩りか? 
 ではなくて、多分、その「頑張れ」を発する人間のセンスが問われた。
 また、受け取る側にも問題はある。

 自分を見つめる勇気は、孤独を生みだしてしまいます。
 それを避ける処世の術よりも本質を捉えて、
 孤高に生きてみたいと私は思いました。
 

本日のビジュアルは風のおかあさんの撮ったシャガ。
http://blogs.yahoo.co.jp/hhsikro
おかあさん、写真のチョイス、これが私の一押しです。