あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛を見失わないで、手放さないで、あきらめないで

愛の十字路 第二章(25)



 昨日は「愛の十字路」に毛色の変わった三連発で失礼しました(汗)。

 それぞれの愛の「カタチ」と「思い」をその立場で紹介したかったのです。

 立場は違えでも三人には「矛盾」するジレンマという共通点がありまよね。

 そして、彼らは軍人であり、海軍兵学校というエリートでした。
 (一人落第した方もいるようですが(汗)因みに、野中さんとのこと)


 関大尉は新婚ホヤホヤの新妻に、

 野中少佐は子分である部下たちに、

 大西中将は日本と日本人と、そして、天皇陛下に対して、、、。

 それぞれの愛を胸に死んで行きます。

 残念なのは愛のために死んでいったのではないという。

 そんなことは当人が百の承知。

 それが戦争というものです。

 あの当時の日本人には「悠久の大儀」という
 独特の生死観、人生観、日本人としての価値観が存在しました。

 歴史をひもといて、その延長線上の出所を探れば、
 江戸期の日本中華思想に端を発します。

 明治で一旦は欧米の合理主義に傾きますが、流れが精神主義の方向を目指した。

 この国家と国民の意識の流れは非常に大きいものです。


   でもね、戦争ってモノの実態は利権にあります。

   戦前の日本は構造不況のなかで、軍需産業に依存する体質であり、
   国民はそれに依存していた。といって過言ではありません。

   大東亜戦争はそういった軍事バブルであり、その崩壊が敗戦です。

   そして、日本は生まれ変わった。

   戦後復興という名の下に「復興」は新たな「土建国家」となります。



 戦前の日本には多くの社会矛盾がありました。

 その矛盾をうまく解決できなかったところに戦争という選択があります。

 米国と戦争なんかしたくはなかったのです。本音は。
 見通しが甘かったといえばそれまで。いや、この頃の指導者たちは楽天家が多い。
 それは司馬遼太郎が明治人の偉人たちを楽天家と表現した「それ」とは異質で、
 現実を直視しないかった。

 日本という国と民の間に組織というものがありました。

 陸海軍というまったく異質で別系統のふたつの組織と関連会社群。

 人は組織を作りますが、組織は人を作らない。
 組織は出来てしまえば老朽化していくものです。

 日本の敗戦が決定づけられてのは1944年6月19日の「マリアナ沖海戦」と云われています。

 その後、1年2カ月の戦いは不毛といって構いません。

 サイパンもレイテもフィリピンも硫黄島も沖縄も無意味。
 どれほど多くの兵士と民間人が死んだことか。気が遠くなります。
 それも玉砕。

 特攻は戦果よりも死ぬことを重視されていきます。

 それでも日本人の五人に一人が特攻をやれば講和に持ち込めると信じていた。
 信じられない! でも本当ですよ。

 米軍は自分たちが傷つかないことを第一に戦術を編み出します。
 こんな死をも恐れる黄色人種と命の駆け引きなんて御免だということです。
 勝敗は決していたのです。
 日本全土の無差別攻撃、なんでもやります。最終的には原爆も投下するし。
 本当は南九州から上陸してたはず、もっと被害は大きかったでしょうね。
 沖縄以上です。

 それでも根をあげない決定権の持ち主たち。
 しかし、彼らは日本人を護ろうとしたのではない。
 株式会社「帝国陸軍」と「帝国海軍」を護ろうとしたのです。

 その組織の中に、関大尉は尉官なので課長、野中少佐は佐官なので部長、
 大西長官は将官なので取締役。
 みんな中間管理職として、はなはだ矛盾だと承知で行動しました。
 軍人としてというよりも組織人としてです。

 私たちは素直で流されやすい民族です。
 そして、組織に対して従順で非力です。
 マスコミの煽動にものせられやすく、答えを安直に求めようとします。
 そして、愛を見失い自分から手放してしまう。

 国家とか権力者だけの責任ではありません。
 組織に依存する私たち自身の責任の問題なのだと 思いました。