怪談吉祥天女 第二夜(2)
なんかヘンな枕になってしまいました(汗)。要は吉行淳之介を登場させたかったんです。
人間が幸せになるのに、この劣等感が邪魔をする。それが故に自己嫌悪が生じる。
性善説・性悪説談義のなかでもそちらに話が流れていましたよね。
じゃあ、劣等感のない人ほど幸せになれるって、こと? どうですかね。
私なら、想像力と知性を疑うかもしれません。
人生は過酷である。
大なり小なり個人差はあっても過酷です。
仏教の出発点では「四苦八苦」と行って「生・老・病・死」をまず取り上げます。
そして、
● 愛する人と別れなければならない苦しみ
● 嫌な人とも合わなければいけない苦しみ
● 求めても思い通りには得られない苦しみ
● 肉体を持つがゆえに生じる苦しみ
しみじみと、人生とは苦しいものですねえ。
「どうせ生き続けなければならないならのなら、
なるべく上等な劣等感を身につけた方がいい。」
それで彼のこの言葉を紹介したかった。
吉行淳之介は若い頃読みましたよ。三田文学で安岡章太郎が好きだった影響かな。
でも、シニカルというかアフォリズムというのか、私には肌に合わなかった。
ひょんな切っ掛けで彼のことを思いだし30年ぶりに再会。
そしてら、上記の言葉が目に飛び込んできたわけです。
おお、これ良いじゃないか。
その頭には「誰も劣等感を脱ぎ捨てることはできない。
人生は決して素晴らしいものではないが、」というのが付いてます。
素晴らしいかどうかは別として、劣等感を克服するとかバネにするとは別に、
上等な劣等感を身につける。って良いじゃないですか。
ダンディズムって感じで。柴田練三郎また違いますが。
結局30年経っても 二、三割ぐらいしか頷けない吉行淳之介ですが(汗)。
それでも二、三割ぐらいあれば上等か。
その二、三割のなかの一句でした。