あかんたれブルース

継続はチカラかな

お盆に考えるピンからキリまで

怪談吉祥天女 第二夜(4)


 小さなおじさんを枕にしといて、戦争の話です。

 その水木先生が戦後にラバウルの地を踏んだ。感慨ひとしおだったようです。

 多くの戦友を失い、自らも片腕を奪われた戦場。ニューギニアですよ。すぐ下はオーストラリア。
 よくこんな所で戦っていたものです。

 で、水木先生はどうしたか?

 笑いました。

 俺は生きていると。
 実際にはそんな単純なものではないのでしょうが、とにかく生き残った。生きている。と

 そこの、あの理不尽な「玉砕」命令があったからでしょう。ホント戦術戦略論外なのです。あの玉砕は。
 時間稼ぎだというけど、いったい何の時間を稼ぐのか?
 要は兵站と撤退作戦が失敗したってことです。
 南方の島の兵隊は捨てられたのです。それだけ。この件はこれでおしましい。

 私は右翼でも左翼でもありませんよ。どっちも嫌いです。その話はここではしません。

 水木先生は寝ること、食べることを大切にしていました。

 ドラマでもそれを象徴的に訴えていたようです。
 バナナ、饅頭、干し柿など、大したグルメじゃない。印象的でしたね。
 生きること。

 彼は戦争で片腕を失いますが、そんなことは大した問題じゃない。
 比較なんでしょうかね。それよりも生きていることが大切って感じでした。
 実際にめったやたら無闇に死んでいくわけです。
 こういった体験をした人達にとっての生死観は私たち平和な時代に生まれた人間とは違う。

 伊坂幸太郎の『砂漠』に主人公の友人で片腕を失う大学生の苦悩が描かれます。
 フィクションの世界ですが、こういった平和な世界でそのシチュエーションは重いですよ。
 でも、水木先生は屁でもない。と仰る。
 環境の異なる対比は意味を成さないと思うかもしれません。

 だけどさ、不幸にも貫目があってピンからキリまでじゃないですか。確かに
 ある人は重度の障害を背負ってとか不治の病で余命幾ばくとか、
 またある人は町内のゴミ捨て問題とか自分の鼻が視界に入って気になってしょうがないとか。
 こういうのをピンからキリってランク分けする?
 違うなあ。
 感じるのは個人査定ですから他人は理解できません。
 壮絶な宿命を背負っても前向きに生きている人も在れば、
 鼻が邪魔だって死ぬ人もいるわけです。

 「他人の不幸は蜜の味」なって云う狭い了見じゃなくって、
 もう少し、考えてみるのもいいかもしれませんね。

 まあ、なんにしても不幸のチャンピオンになるのは良くないよ。絶対
 他の人に悪いもの