あかんたれブルース

継続はチカラかな

読みながら立ち止まる作業

 読書ネタで話が盛り上がって、なんか脱線しそうですが、
 ここはグッと堪えて続けます(笑)。

 私が驚愕する読書家は幕末なら吉田松陰。明治なら秋山真之です。

 以前、ヒッポさんに説教したときに
 具体的な松蔭の読書量を数字で上げたけど、残念ながら今は忘れた!
 まあとにかく一日の読書量が凄い。しかもみんな漢文でっせ(汗)。
 彼は革命思想家というよりも教育者ですね。
 その私塾から多くの行動家が生まれました。

 秋山は米国留学に天才戦略家・マハンに学びます。
 といっても「本を読め」とだけのレクチャーだけなのですが(汗)。
 秋山は膨大な書籍から必要なもの不必要なものを整理する作業の天才でした。
 現在の情報社会に必須の能力かと思います。

 まっ、なんにしても知識が雑学なってしまうのはもったいない。

 今は実用書だけが持てはやされて小説の存在は地に堕ちてしまったとか。
 そういうところからも「答えを性急に求める読者の傾向」があるのでしょう。
 また、小説自体も「斬った張った惚れた」と「緻密な取材」が主流で
 読者に考えさせる隙間を与えない。

 本は思考と考察の切っ掛けとかヒントを与えてくれるものです。
 頭に詰め込むだけ詰め込んでも自身で咀嚼できないと、辛い。よね。
 その意味で、私たちは忙しすぎるのかも。

 すべての弊害の要因に「豊かさ」があると思うことがあります。
 貧困に対して豊かさは光であり、大切なものですが、
 豊かさ故に悩みは複雑に屈折するものです。

 大量な情報が私たちを途方に暮れさせてしまう。
 何を信じていいのかわからない。その価値が見いだせない。
 読書を通しての知識は単なる理論武装だけではなく、
 私たちの心を豊かにさせてくれるツールであって欲しいと願います。

 活字離れが叫ばれて、かなりの時間が経過しました。
 読書を娯楽と考えることには大賛成です。
 もっと余裕をもって本と親しみたいと思うのです。
 マンガでも小説でもかまわない。
 なにかそこからふと目を車窓に移して、遠い風景をみつめる。
 考える作業さえも
 疎ましがられる風潮ですが、
 その髪を掻き上げたときの君の仕草に心をときめかせてしまう。
 
 読書の秋です。



 そう来たか(汗)。