コミュニケーション能力(6)基礎学力としての寺子屋の役割
明治から100年の後、昭和43年ぐらいですかね。
安岡正篤の講演の収録が本になっています。
養老さんの「バカの壁」同様に非常に読みやすいものに仕上がっています。
たくさんの貴重な提言があるのですが、そのなかで
最近の大学の大学生の在り方に嘆く安岡節があります。
要は戦後、大学を増やしすぎた。と。
いや教育の場が増えるのはいいのだけれど、先生が不足している。
先生のレベルの低下から学生が退屈してスポーツやアルバイトにはけ口を求めていることを
安岡先生は危惧して嘆く。
まあ、そこで社会勉強をするのはいいのですが、そんなことは詭弁であり、
そんなものは社会に出てからやればよい。
学生時代には学生でしかできない勉強をするべきだ。と。
安岡正篤先生が言うから説得力はある。
ここでひとつのポイントは教える側のレベルの低下ですね。
そして昭和43年の話ですよ。今から40年ぐらい前の話ですよ。
文明開化といわれた明治維新。
しかし、それ以前の日本の教育が劣っていたわけではありません。
江戸における嘉永年間(1850年頃)の就学率は70〜86%といわれており、
イギリスの主な工業都市で 20〜25%(1837年)、フランス 1.4%(1793年)、
ソビエト連邦 20%(1920年、モスクワ)と他国に比べ就学率が高かった。
幕末期には、江戸に約1500、全国では15,000の寺子屋があった。
1校あたりの生徒数は10人から100人と幅が広かった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
寺子屋というと読み書き算盤って感じですが、それ以外に
『庭訓往来』『商売往来』『百姓往来』など往来物(手紙書簡集ですね)
地名・地理を学ぶ『国尽』『町村尽』、『四書五経』『六諭衍義』などの儒学書、
『国史略』『十八史略』などの歴史書、
『唐詩選』『百人一首』『徒然草』などの古典が用いられた。そうです。
これを時代遅れと考えたんでしょうね。明治政府は。
確かに産業革命を経た西洋列強の実力は絶大だったことでしょう。
日本人はコンプレックスと自信過剰の両極端的な資質があります。
明治とはこの西洋の合理主義を取り入れたのです。それが文明開化。
けれどもそのベースにそれまでの寺子屋教育の貯金があったことを忘れてはいけません。
それが目減りして元本割れするころが太平洋戦争、そして敗戦です。
明治維新→太平洋戦争の敗戦→バブルと崩壊
こんなイベントが日本人の価値観と方向性を変えるんでしょうね。
学校教育の問題点は「詰め込み」とか「ゆとり」だけでは語れないところがあります。
振り子の論理になってもダメなんです。
寺子屋関連で「江戸しぐさ」をつらつら読めば、
この「往来物」などから子供達はコミュニケーションの在り方を学ぶと同時に、
人物眼を養ったみたいですね。(占いとかじゃないよ)
相手の物言いや挙動など色々なファクターで判断する力。
いま欠けているもののひとつかもしれません。
現実世界だけのことだけでなく、ブログやメールなどでも文章として、
それは饒舌に語られています。
文字や言葉は誤解を生む。という。しかし、それ以上に饒舌であり正直であり恐いものです。
見てるひとは見ている。