あかんたれブルース

継続はチカラかな

接待で幸福を噛みしめる

イメージ 1

コミュニケーション能力(7)君子豹変したか?



 昨夜の『チャーリーとチョコレート工場』御覧になりましたか?

 見てるひとは見ている(笑)。ダジャレではなく、レンタルビデオ屋でも人気・推奨作品でしたからね。

 連日の記事内容からとてもタイムリーな映画でした。

 不思議なチョコレート工場に招待された5人の子供と保護者たち。

 我が儘、貪欲、世の中なめたバカなガキたち。そして彼らにはそれなりの親がいる。

 そう、こういった子供にはそういった親がいる。

 ゆとり教育や偏差値偏重の問題はあるけれども、そこには親や大人の問題も大きい。

 映画は米国映画特有の「家族」と「愛」の勝利でハッピーエンド。ですが、
 私たちの現実はそう簡単にハッピーエンドにならない。

 私たち自身がおバカなガキであったかもしれないし、
 またバカな親でありバカな大人であるのかもしれません。

 教育ママって言葉は私たち世代の頃から世の中を席巻していました。
 私たちはみな一様にウンザリしていたはずなの、みんなあるときから一変してしまう。
 
 そりゃねえ、なんだかんだ言っても世の中の仕組みがそうなっているのだから、
 自分の子供には貧乏くじを引かせたくない。親心。

 私たちはみんなそれなり理解ある親で在りたいと考えています。

 けれども、自分たちが何を理解して信じているのかが非常に微妙。

 いい学校からいい会社に入ることが必ずしも幸せのパスポートにならない。
 本音と建て前のなかで「自分だけは」と願いますが、どうも怪しくなってきている。

 藤原正彦はその怪書『国家の品格』で「真のエリート」と簡単に言うけれど、
 いくら頭に「真」の冠をかぶせても無理があります。武士道の解釈から間違っているんだもん。

 役人官僚の最高峰は事務次官でしょうか。
 それがゴルフ代や食事の接待で幸福を噛みしめている。女房一緒になって。
 そのくせ地元の冠婚葬祭には100万円の自腹を切れる。

 よく考えれば、コミュニケーション能力云々の以前に社会や組織での
 モラルハザードは存在して拡大しているわけです。

 子供以前に大人がしっかりしないといけない。