情動の知性(1)受容力(其の二)
自分に厳し過ぎる人、甘すぎる人。中間はないのか! と。
現実問題として、これが現代社会の実情なんでしょうね。
ここで自分に厳しすぎて自分を愛せないタイプを(A)
自分を愛しすぎて他人や集団および社会を拒絶するタイプを(B)とします。
中庸であるならば、その(A)地点と(B)地点の中間がベストなのでしょうが、
どうも違いますね。
若干、それは(B)に寄っているかもしれません。が、それだと解りづらい。
たとえば、所謂「自己中心的」で自信家タイプ。
A、 B地点の中間点を(C)とした場合、
この自己中さんを(C)と(B)のさらなる中間(D)に置いてみましょうか。
結構、自信家です。それなりに成功している場合が多いのが厄介ですね。
ただ、こういのは一過性のものなのでいき過ぎれば必ず破綻があるものです。
それは歴史の人物考察、その進退から多くを学べるものです。
ただし、どこかに、私たちには第三者的な「嫉妬」があることも忘れてはいけない。
所詮、人間はどうあがいても自己中心的なものです。度合いにもよりますが。
これに拒絶反応を示すのが(A)タイプなんでしょうね。
それ以上に、打ちひしがれてしまう。(B)は最初から。寄りつきません。
この(D)をあえて出したのは(A)の救済にあります。
傷つき苛まれる(A)タイプはどうしても(D)タイプにはなれない。
なぜか?
そんな恥知らずなこと、とても出来ない。
この(D)には現実的な臭いがあります。
リアリティーな臭みを(A)タイプは苦手にしているのではないか。
それは(B)タイプも同様ですが、行動として拒絶する彼らと別に、
(A) タイプは受け入れざる負えない社会性がまだ存在しているから。
その矛盾を外にではなく、自分の内面的な浄化によって解決させようとするようです。
実は、この(D)タイプも内情はなかなか大変で、絵に描いた自己中さんというわけでもないのかも。
たぶんタイプ(A)タイプはそのことも知ってるのかもしれません。
そして、それが故にまた自分を卑下してしまうのかも。
なんか健気でとっても可哀想になってしまう。
なんとかしてあげないと。と思うのですが、なかなかこれが難しい。
結論からいうと、そのいい加減の場所は(C)と(D)の中間地点にある。
(ここ)かな
(A) (C) ↓ (D) (B)
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自己中
(A) タイプはある意味良識派なので、いい人で在ろうとしています。
しかし、自分の理想とするいい人と自分自身にギャップを感じてしまうので、
なかなか自分を受け入れられないし認められない。そして愛せない。